「最後は誰でやられたら、納得がいくか」
たくさんの選択肢がある中で、監督は瞬時に次の判断をしなければなりません。バッター村上になった場面で、僕の中に浮かんだのは、これでした。
「最後は誰でやられたら、納得がいくか」
それは村上でした。若くして頑張っていて、これから日本を背負うバッター。
大会が終わったとき、村上が世界中から評価され、メジャーリーガーの翔平や鈴木誠也、吉田たちと同じレベルに見られる。僕はそう思ってやっていて、村上にもそんな話をしていました。
点を取れる確率がそれほど変わらないなら、最後は人なのです。彼の生き様、そしてそれがもたらしたもの。もし、村上でやられたら、僕は納得がいくと思いました。「よし、ムネと心中だ」と思ったのです。こいつがやられても、「これしか選択肢がなかった」と思えるかどうかだ、と。
信じてもらえるということの大きさを、僕は知っていました。「さぁ、行ってこい。オレはお前を信じた、お前で決めてくれ」という思いが、いかに大きなものなのか。それを知っていました。
村上が待っているところに、僕は城石憲之コーチを送り込んでいました。そして戻ってきた城石にこう伝えました。
「すまない。もう一回、ムネのところへ行ってくれ。『お前が決めろ』と、もう一回、言いに行ってきてほしい」
選手というのは、まわりがバントを準備していたりすると、代えられるかもしれない、という空気をつかんでしまうものです。だから、そのすべてを消させて、覚悟を伝えたかった。僕の覚悟を伝えるという作業が必要でした。
「決めるのは、お前なんだ」ということです。それでも、結果が出るかどうかはわからない。
ただ、意外なことにあの正念場で、僕は案外、ドキドキしていませんでした。「オレはお前と心中だ」と決めていたので、けっこうゆったりしていたのです。
「お前でやられたら、オレは納得がいく」
監督として選択をして、選手を送り出したとき、「やっぱり違ったかな」と迷うことがこれまでなかったと言えば噓になります。しかし、あのときは一切それがなかった。
「さあ、行け、ムネ」という感じでした。
では、なぜそう確信できたのか。しかも、瞬時に。正直、はっきりとはわかりません。もしかすると、僕は神様と会話していたのかもしれません。
「ここまでこうしてやってきて、この状況でバントは相当なプレッシャーがかかるぞ」
「では、一番、思い切れる形って、何だろう」
「それはお前、ムネと心中すると思って、ずっとやってきたんじゃないか」
「そうか、行くか」
一方で、こんなささやきも遠くから聞こえてきます。
「これ、もし内野ゴロを打ったら、ダブルプレーであっという間にツーアウトになる。この大事な場面、まわりの選手たちも絶対にバントだと思っている。選手たちの納得する形にしてやりたいとは思わないか」
余計なことを考え出す自分もいるのです。それでも最後は「ムネ、お前と心中だ」でした。
「お前でやられたら、オレは納得がいく」
これこそが、決め手だったのです。
「信じ切る力」とは、そういうことだと僕は思っています。信じている、の一歩先にあるもの。どこまで本気で自分が信じられるかということ。「この試合に勝つなら、お前が打って勝つはずだ」という思い。
それにしても、スーパースターというのは本当に気の毒です。こういう大事なところで打順が回ってくるのです。他の試合でも、チャンスで村上に回ってきたことが何度もありました。村上自身も「またオレか」と思ったと言っていました。
でも、そういうものなのです。スター選手というのは、試合を決める人たち。それが宿命なのです。だからこそ、それを村上に背負わせたかった。背負わせるべきでした。
結果は皆さん、ご存じの通りです。3球目、村上の打球はセンターの頭上を越えてフェンスを直撃しました。2者が生還して、日本は劇的な逆転サヨナラ勝ち。
打った瞬間、全員が駆け出し、ベンチはあっという間に空っぽになりました。チームの誰もが、村上を祝福しました。みんなで喜びを爆発させました。
侍ジャパンは、最高のムードで決勝戦に向かうことができたのです。
野球人としての最高の幸せをかみしめて
さぞやベンチの中で緊張していたのではないですか、と聞かれることがあります。
2023年3月21日(現地時間)、アメリカ・フロリダ州の野球場「ローンデポ・パーク」。日本対アメリカ戦は、第5回WBCの決勝、世界一を決める大一番でした。
『信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ』(講談社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします実際には、緊張どころか、僕はもう楽しくてしょうがなかった。その場にいることに、とにかくワクワクしていました。
夢だったからです。メジャーリーグ選手を擁するあのアメリカのドリームチームと、日本代表の侍ジャパンが決勝で激突するのです。そこに、監督として居合わせるのです。
僕は、野球人としての最高の幸せをかみしめていました。これ以上のご褒美はないと思っていました。
2023年のWBCで日本はなぜ、世界一になれたのか。そんな質問を、僕はたびたび受けるようになりました。
そして僕自身、人生最高の瞬間をなぜアメリカの地で迎えることができたのか。それを考えるようになりました。
僕が今、最も伝えたいこと。それは、「信じる」こと、もっと言えば「信じ切る」ことの大切さを、改めて日本の人に思い出してほしい、ということです。
その力は、誰かの、そして自分の人生を、さらには世の中を、大きく変えることになると、僕は信じています。
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