陸上自衛隊第32普通科連隊の8日の投稿。当初の投稿から「大東亜戦争最大の激戦地」などの表現が削除された

陸上自衛隊第32普通科連隊が公式X(旧ツイッター)で用いた「大東亜戦争」の表現が、朝日新聞などから批判されたことを受け、防衛省・自衛隊はこれを削除した。硫黄島での日米戦没者合同慰霊追悼顕彰式への参加報告の際に使ったものだが、木原稔防衛相は「慰霊そのものが重要であり、大東亜戦争という表記によって、大きな問題化することは本意でないという報告を受けている」という。

閣僚が認めたということは、自衛官をはじめ公職に就く人が使うには「不適切な言葉」として登録されたのと同義だ。「慰霊が重要」というのなら、戦没者の思いに沿うことこそ重要だったのではないか。英霊は「大東亜戦争」を戦ったのだ。私はここに典型的な「戦後体制」を見る。つまり、国の尊厳よりも目先のトラブル回避を優先させる「事なかれ主義」だ。

「大東亜戦争」は昭和16年12月の開戦直後に、当時の東条英機内閣が閣議決定した呼称だ。「宣戦の詔書」には、「東亜の安定を確保し、世界平和に寄与し、万国が共に栄える喜びを共にしたいにもかかわらず、米英は、東亜の混乱を助長し、平和の美名に隠れて東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。事ここに至っては、自存自衛のため、速やかに禍根を取り除いて東亜に永遠の平和を確立し、日本の保全を期す」旨が記されている。この詔書に接したとき、昭和天皇が「戦う理由」をここまで明言されていたのかと驚きを禁じ得なかった。

戦後、20年12月の覚書によってGHQは「大東亜戦争」の使用を禁じ、「太平洋戦争」に置き換えた。WGIP(日本人に戦争についての罪悪感を植え付けるための洗脳工作)を行ったGHQにとって、東亜の平和を確立するという「日本の大義」は不都合な真実であった。こうした史実を知れば、「大東亜戦争」の削除が、いかに戦勝国史観にとらわれ、独立国としての尊厳を自ら傷つける行為であるか理解できるであろう。

勝者の「言葉狩り」に、いつまで縛られるのか。ツケを先送りせず今を生きるわれわれの手で自ら時代の歯車を回す気概を持ちたいものである。

葛城奈海(かつらぎ・なみ)

防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会幹事長。近著に『日本を守るため、明日から戦えますか?』(ビジネス社)。

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