教養を身につけて不安定な時代を乗り切りたい…。そもそも「教養」とは?(写真:Rhetorica/PIXTA)現在、学校のみならずビジネス社会においても「教養」がブームとなっている。そもそも「教養」とは何か。なぜ「教養」が必要なのか。3万5000部のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏が、「爆笑問題のニッポンの教養」や「欲望の資本主義」「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」など数々の教養番組を世に送り出してきたNHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサーの丸山俊一氏に、プロデューサーとしての原点や、不透明な時代において「教養コンテンツ」をどう届けるかについてインタビューを行った。

堀内:丸山さんはNHK番組のプロデューサーとして、その名も「爆笑問題のニッポンの教養」をはじめとして、「ニッポンのジレンマ」や「欲望の資本主義」シリーズ、さらに現在放送中の「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」など、教養的な番組を多く手掛けてこられました。とくにブレークしたのは「欲望の資本主義」シリーズかと思いますが、なぜこれらの番組を世に出そうと思われたのか、背景にある問題意識などについてお話しいただけますでしょうか。

丸山:どの企画も決して最初から形が見えていたというわけでもなく、時代や社会とどう線を結び、テーマを表現するか? 映像を通して試行錯誤し、問いと仮説を投げかける精神が、それぞれの形をとったということだと思います。映像という装置をいかにして「思考するツール」とできるか? 視聴者の皆さんといかに時代や社会を共に考えるフレームを共有できるか?という問題意識が常にありました。それがたまたま、聖俗硬軟さまざまな表現をとり、報道、ドラマ、科学……といったジャンルに収まりきらないものになっていったと言えるのかもしれません。

着想の原点にある教養ラジオ的思考

堀内:実は、私の身内がNHKに勤めていました。また大学時代のクラスメイトがNHKの解説委員長を務めたりと、個人的にはNHKに対してとても親近感があるのでなかなか言いにくいのですが、NHKの番組というのはどうしても教科書的で、予定調和と言うか、起承転結がしっかりし過ぎていて面白みに欠けるものが多い印象があります。

そういう中で、いかにして教科書的ではない「欲望の資本主義」のような番組が生み出されたのか。そのあたりを教えていただければと思うんですけど。そもそも、このシリーズが始まった頃に資本主義を題材に番組を作るということ自体、かなりの冒険だったのではないかと思いますが。

丸山:それは単に僕の目的に向かって直線的には進めないアマノジャクな癖と、怖いもの知らずの妄想家ゆえからかもしれません(笑)。「欲望の資本主義」にしても、資本主義が主題であるという以前に、自分が何を欲しているのかわからなくなっているのが現代の人間だとしたら、という着想から始まっていますし。

大学時代も就職活動を前に、新卒一括採用、年功序列、終身雇用などを特徴とする日本的な大企業の論理の中で勤め上げられるか不安を感じていたようなタイプで、「いい学校」「いい会社」というルートに乗っていくことを目指す人生が正解と見做される世の中への違和感があったんですね。

メディアへの志望も、そうした意識が背景にありました。新人でも小さなコーナーの演出をしたり、わずかなスペースでも自分で記事が書けたりと、なんとか表現の試行錯誤をする場を持てるのではないかという期待からの志望でした。自らの問題意識と社会の課題との間に連続性を見出せる場を探し続けていました。今にして思えば、メディアに限らずさまざまな世界にそうした場もあったのかもしれませんが、いずれにせよ、仕事を通して感じ考え、物事の本質に迫る喜びをエネルギーにしたかったのです。

入局の際の同期の自己紹介の場で、多くが「NHK特集」や「大河ドラマ」などの志望を口にする中、「ラジオ第2」をあげたのは僕だけだった記憶があります。1980年代の「ラジオ第2」には、さまざまな分野の最前線を走る人々にフラットに話を聴くスタイルの「教養番組」があったのです。

当時「ニューアカデミズムの旗手」と謳われた浅田彰さんや、『朝日ジャーナル』の名物編集長でもあったジャーナリストの筑紫哲也さんといった各ジャンルで時代と対峙する問題意識を持つ人々にディレクター自らがインタビュアーとなって話してもらう、そんなシンプルな番組を放送していて、そんな仕事のスタイルに憧れていました。

収録機を担いで一人インタビューに出かけ、ハサミ片手にテープをつぎはぎし自分で編集し、放送にこぎつける。そうしたシンプルな過程こそリアリティを感じられるというか、制作の過程で考えることができる日々に勝手に可能性を感じていた就活生でした。結果的には、ラジオは新人時代に少しだけ経験し、基本テレビ中心の日々となりましたが、今でも僕が着想する番組企画は実はラジオ的だなと思うことがよくあります。

ジャンルを横断する思考で自らの「フレーム」を作る

堀内:それは意外ですね。最初から映像の仕事を志してNHKに入社されたわけではないのですね。ラジオ志望から、どんなことがきっかけとなって、今の仕事へとつながっているのでしょう?

丸山:ええ。でも、ラジオでもテレビでも、その本質的なところは変わらないことにも気づきました。やはり取材が大事で、音声にせよ映像にせよ、想像力を動員しながら断片を構成し、一つの形へと構築していく、表現の形へと整えていく制作の過程には、発見と思索の醍醐味があります。

そして同時に、映像はその「フレーム」の作り方により、見る人の視点により無数の広がりを持つことの難しさと面白さにあらためて目覚めました。光源は一つであっても、そこから生まれるイメージは広がり、乱反射します。作り手が思いもしなかった視点を見る方が感じ取ってくれる、これ自体が映像を通しての対話、発見の過程です。

ある視点からの発見の大切さに目覚めた一つのきっかけは、浪人時代だった1981年、『中央公論』に掲載された、当時京大人文研助手の浅田彰さんの文章をたまたま読んだことにあります。

『構造と力』の「序に代えて」となっている「千の否のあと大学の可能性を問う」といったシニカルなサブタイトルがついている文章でしたが、時代状況の変化を俯瞰しつつ、学問、大学、社会、そして知のあり方の変化についての一つの見取り図を提示するようなエッセイでした。

これも今思えば、1970年代から1980年代へと、工業化社会からいよいよポスト産業資本主義への転換が本格的に社会の構造を変え人々の意識を変えることへの洞察でもあったわけですが、自らの居場所を見つけられない思いを抱えていた身には、その感覚、表現のスタイルが非常に興味深く、刺さりました。

著者紹介を見ると専攻は「経済学史」と「数理経済学」とあったんですね。経済という学問を入り口とすれば、こんなふうに縦横無尽にジャンルを横断して知の世界を疾走できるのかと、経済学部の選択にもつながりました。

それで、慶応大学の経済学部に進学したのですが、ここでまた単線的には進めない悪い癖が出たのか(笑)、もっと世界を広げようと東大の駒場に下宿し、慶応に通うのと同じぐらいに、教養学部のキャンパスを歩き回る生活を送るようになりました。当時、アカデミックであると同時にジャーナルな仕事もされている、個性的な先生方も多かったんですね。

たとえば、経済学者でありながら『大衆への反逆』なども著し社会批評家でもあった西部邁さんが「経済原論」を講義されていたわけですが、ある意味自らが説く近代経済学に対して自ら疑問を持ちながら、将来官僚を目指すような人々を目の前にして語っているわけです。

西部さんが最後の講義で、「さて皆さん、私はこの一年、経済原論なるものを講義してきたわけですが、これは砂上の楼閣でありまして……」という締めの言葉に、文一や文二の学生たちが「シー」とブーイングを始める場面もありました。それでも淡々と話し続ける西部さんの姿が記憶に残っていますが、時代を象徴するシーンでした。

「学習」を突き抜けた「学問」の世界に遊ぶ

『ヴェニスの商人の資本論』を著されたばかりの岩井克人さんの講義も心躍るものでした。岩井さんも「経済原論」を講じつつも、ご自身の見ている世界はスタンダードな理論の先、既存の枠組みを超えた御自身にしか見えない風景をイメージしながら話されているのではないかと感じていました。

今の時代では難しいかもしれませんがそういった方々の講義に潜って、講義の言葉のさらに背後にある思いなどを感じ取ろうとしていた、ある意味生意気な学生でした。岩井さんの時には講義後に質問までしまして、実はそのことが岩井さんの記憶に残っていてくださり、「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論」の取材で、およそ35年ぶりにカメラの前で再び質問させていただくご縁にもつながっています。

他には、科学史、科学哲学の村上陽一郎さんも印象深いです。「パラダイム転換」という言葉がちょっとした流行のキーワードになっていた時代で、文理を超えて、科学という客観性が命のように思われる学問のありようも「時代的文脈」によって相対化されることが議論されていた時代だった記憶があります。

面白いもので、単位などの義務感とは関係なく教室を覗くほうがリラックスして頭に入ってきて、まるで知のライブ会場にでもいるような思いで講義を楽しませていただいた感覚をよく覚えています。

当時の駒場キャンパスの空気は何か特別で、自由で開放的な風が流れていました。渋谷から程ない距離のところに突然開けた森の中の空間という感じで、そんな場所でいろいろと想像力の世界に遊ばせてもらった日々は、とても貴重な経験となっています。

20歳の頃に駒場を歩きながら、もしかしたら世間の大勢の価値観とは少しズレたところで、はぐれた気分を抱えながら生きていくことになるかもしれないけれども、その分自分にとってかけがえのない思考法とは何か、自分で考え判断できる拠り所となる“ものの見方・考え方”、価値軸のようなものを今のうちに身につけておかなければと、そんな切実感を持ちながら、日々キャンパスを歩いていたという記憶があります。

大学の学問など役に立たない、会社に入っても大学時代遊んでいた人間のほうが使える、といった発言を多くの企業人たちからも聞くような時代でしたから、それに対する反発もあったんでしょうね。単に「A」をとるような「学習」ではなく、もっと突き抜けた「学問」に4年間身体ごと浸かることに懸けようと……。

そしてそんな時を過ごす中で、カントの「コペルニクス的転回」ではありませんが、認識の仕方次第でこの世界が変わって見えること、その喜びこそが僕にとっては最も大事なことなのだと確信したのです。大学時代は、そのエネルギーを生きていくうえで核とすることを決意した、教養的マインド形成の原点かもしれません。

そして実は入局後、30代の頃ディレクターとして教養特集などを構成、演出していた際も、勝手知ったる駒場にはよく出没し、多くの先生方に取材、ご出演いただきお世話になっていました。NHKの渋谷と東大の駒場は歩いても20分ぐらいですが、この往復運動が物理的にも精神的にも、いいトレーニングになっていましたね。

「自分とは何か」に向き合うとき開かれる視点

堀内:すごく面白いですね。丸山さんの伝記をNHKで作ったらいかがでしょうか(笑)。

丸山:なんだか恥ずかしくなるような話ですが、20歳の頃から成長がないのかもしれません(笑)。学生時代は国際都市TOKYOが飛ぶ鳥を落とす勢いで世界の注目を集め、上京してきた人間にとっては実に面白い時代ではあったのですが、その表層の景気に浮かれているだけの大人も少なからずいた時代の空気への違和感もありました。華やかな祭がいつ終わるか……、むしろ醒めた感覚と共に危機感もあったのだと思います。

堀内さんもインタビューなどでお話しされていますけれども、銀行時代に不良債権処理を理不尽な形で押しつけられたところから、いろいろ考えられて、そこから自分の人生を見つけたと。やはり人間は、ある種の切実感と言いますか、自分がこの場に、この世界にいるということの意味を、あるいは自分が社会との間でどういう関係を築くべきかといったことを考えるきっかけが大事になると考えます。その切実感から生まれてくるものが、教養的な思考にもつながるのかもしれません。

堀内:そうですね、人は生まれることが物理的な人生のスタートだと思うのですが、何か自分の生存をおびやかされるような切迫感を持った体験などで「自分とは何か」という問いに正面から向き合わないと本当の人生はスタートできないと思っています。そうした意味で、人は2回生まれるのではないかと思っています。ずっと順風満帆な生活を送っている人は、もしかしたらそのような切実感に向き合わないまま中年以降に突入してしまうのかもしれません。

丸山さんの番組は、自分の人生について考えさせる、自身の人生と向き合うきっかけになるようなものが多いと感じます。その辺のことを意識して番組をつくられているのでしょうか。

丸山:特段そこまで問題意識を絞り込んでいるわけでもないのですが、皮肉なことに、不透明な時代の空気が人々に漠たる不安を生んでいる状況にお応えすることになっているのかもしれません。高度成長の時代、右肩上がりの時代であれば、ルートも決まっていて、なんら疑問を感じることなくゴールに向かって進んでいくことも可能であった人も多かったのかもしれません。

しかし歴史を俯瞰して眺めれば、実はむしろ近代という時代自体も特殊ですし、戦後の日本という時代自体もある意味特殊だったと考えられます。21世紀へと入る変化の中で、堀内さんがおっしゃったような意味で、切実感や疑問を感じないまま幸せに生きていける人も少なくなってきたのでしょう。

であるならば、その中で少しでも、こういうオルタナティブな考え方があり得るのでは? あなた自身が今思い込んでいる人生の物語も、少し視点をズラし、新たな価値観で遠近法を変えてみたら、また異なる可能性があるのでは?と提案する、それも一つの僕は教養番組のあり方だと思うのです。

「正解」なき時代に対話から生む「思考のヒント」

ですから僕自身、番組という形で情報を集約してお送りする時も、賢しらな「正解」をお伝えするような気は毛頭なく、同時代を一緒に併走している人間として、現代のさまざまな問題に対してこういう見方もできるのではと提案をしながら、番組を通じて視聴者の方と対話をしているという感覚がいつもあります。

自分の仕事は、切実感や疑問を感じるような躓きのときも、自分で自分の可能性を狭めてしまうことがないように、視野を広く持ち、柔軟に対応できるための見方、考え方、捉え直し方ができるという選択肢を自分の中につくれるような、「思考のヒント」のようなものを、映像を通して、時に活字で、時に大学などでも提案することだと考えています。

堀内:そうですね。非常によくわかります。私も最近は教養について語る機会が多くて、まさに東洋経済オンラインでこういう連載をやって、皆さんと対話させていただいているのですが、いまテレビにしても、ネット記事にしても、本にしても、言い方が適切かどうかわからないのですが、脅して売りつけるような商法がすごく多いなと感じています。

つまり、ぼーっとしていると時代の変化に取り残されていますよ、このままだとヤバいですよといった、そういう論法の商法がやたらと増えている。教養についても、このような不安定な時代なので教養を身につけていないとヤバいですよ、みなさん教養を学んでいますよと。そういった感じで人の不安感につけこんで、いわば脅して売る的な商法はいかがなものかと思うのですが。

一方で、まさに丸山さんが言われたように、今の時代を考えると、なんとなく生まれて、なんとなく生きていたら幸せに人生終わりましたというのも現実的ではないと思っています。それで、もし何かのきっかけで「自分の人生を生きなければ」と気がついた人がいるのであれば、そういった人たちの役に立つ文章を書けないかなと思って『読書大全』を書いたり、こうして東洋経済オンラインで教養をテーマに連載をしてみたりしています。

ですから、丸山さんの言われた謙虚な提言というか、「何かきっかけをつかんでもらうヒントになれば」という姿勢は、私の目指すものにとても近くて納得できました。

(構成・文:中島はるな)

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