武蔵野美術大(武蔵美=東京都小平市)が2025年度以降に入学する留学生から、修学環境を整備するという名目で新たな費用を徴収すると決めた。留学生には年36万円以上の負担増となる。この「学費値上げ」に大学の枠を超えて反発が起きている。なぜ留学生だけなのか。増額の理由や幅は適正で、理解を得るための手順を踏んだのか。個別の美大の問題とはいえない背景がありそうだ。(森本智之、西田直晃)

◆突然の36万円値上げ発表に学生らが反発

 「留学税 36.3万円」「勝手な学費値上げやめろ」「非常に差別的」。武蔵美で13、14の両日に行われたオープンキャンパス。訪れる高校生や保護者らに対し、手書きの看板や横断幕を前にしてビラを配る留学生らの姿があった。

武蔵野美術大前で負担増に反対してビラを配る留学生ら=東京都小平市で(留学生提供、一部画像処理)

 直前の11日、大学は2025年度以降に入学する留学生に、年36万3000円の修学環境整備費の負担を求めるとウェブサイトで公表していた。  サイトでは、武蔵美は前身の帝国美術学校時代から多くの留学生を受け入れてきたとした上で「さらにきめ細やかで継続的な対応や支援ができるよう」と目的を説明。
・専用窓口を設置するなど留学生サポートの強化
・成績優秀者らに向けた奨学金の拡充
・日本語教育など留学生向け教育プログラムの充実

といった使途に充てるとした。  だが、高額な値上げにもかかわらず、事前の説明もなく突然発表したことなどから、在学生や卒業生らの間に反発が一気に広がった。値上げに反対し、交流サイト(SNS)などで情報共有する学生は、中国人留学生を中心に韓国人、日本人、そして他大学にも広がり、約150人に及ぶ。

留学生の負担増について発表する武蔵野美術大のウェブサイトの一部(スクリーンショット)

 中国からの女子留学生は「武蔵美の授業料は既に高額でアルバイトをしながらギリギリで学生生活を送っている。36万円も学費が上がれば、私が受験生なら受験を断念している」と述べる。武蔵美のサイトによると、年間の学費は学科によって異なるが、大体160万円前後。整備費が加わると、約2割の値上げで計200万円近くになる計算だ。

◆来日し準備中の受験生たちもショック

 女子留学生によると、中国からの留学希望者は入学の1〜2年前に来日し、語学学校で日本語を学びながら美術の塾に通って受験準備をする。来年の志願者で来日済みの人は多いという。ビラ配りにはこうした人も参加し「ひどくショックを受けていた」という。

武蔵野美術大の値上げに反対する留学生らが作ったビラ

 加えて、大学の示した使途にも疑問の目を向ける。例えば、「留学生サポートの強化」といっても、留学生の多くは事前に日本語を学んでくる上、現在でも武蔵美の日本語授業は充実しているという。女子留学生は「内容にも決め方にも大きな問題がある。大学は独断で決めないでほしい。私たちは決める権利を求める」と全留学生を対象にした学生投票の実施を求める。近くネット署名を始める計画だ。

◆「いまや日本の美大、大学院は留学生でもっている」

 美術ジャーナリストの藤田一人氏は「日本の美大では中国、韓国、台湾などアジアからの留学生の存在感が増している。人数も増えているし、作品の質も高い。特に大学院は留学生でもっている面がある」と述べる。武蔵美では2024年度、全学生の15%弱約700人が留学生だ。  今回の反対運動に参加した多摩美術大の中国人留学生は「中国では自由な表現ができない」と留学を決断した。東京大の学費値上げの問題を踏まえ「日本の大学はいろんな形で値上げしようとしているようにみえる。今回のように大学側が一方的に値上げを決めることを許せば、同じことはどこで起きてもおかしくない」とやはり大学側の姿勢を問題視する。

授業料値上げに反対するため、東京大の安田講堂前で開かれた集会=6月、東京都文京区で

◆意見は真摯に受け止めるが、撤回は検討しない

 武蔵美は「一方的な決定」との指摘について「学内にて普段から学生と接する教職員から意見を聞くなどして、丁寧に議論を重ねてきた。当事者の新入生には、オープンキャンパスやウェブサイトを通じて事前に説明を行っている」と、「こちら特報部」にメールで回答。「留学生からの意見は真摯(しんし)に受け止めるとともに、今後も理解を求めていきたい」とコメントした。一方で、整備費の撤回などについては「現在のところ検討していない」とした。  一方、武蔵美と並ぶ名門私立美大の多摩美は、留学生に費用負担を求めることについて「検討していない」と回答した。  留学生に絞った学費値上げは、私立美大だけでなく、国立大でもあり得る話になっている。

◆4月、国立大に通う留学生学費の上限を撤廃

 文部科学省は4月、省令を改正し、国立大に通う留学生の学費の上限を撤廃し、各大学が自由に設定できるようにした。「学習支援や相談体制の充実など、留学生受け入れの質の向上を図るために必要な対価の徴収」と位置付けている。

文部科学省

 留学生の内情に詳しい静岡県立大の塩崎悠輝准教授(地域研究)は「政府が掲げた『留学生30万人計画』は達成されたが、日本語能力が不十分な学生も多く、在学中の授業や卒業後の就職に支障を来す大学が増えている」と背景を語る。  ただし、日本語教育を充実させ、留学生に費用を負担してもらう方向に、単純には進みづらいとみる。「大学は予算を確保した上で、日本語教育プログラムの拡充の必要性に迫られているが、短期間での対応は困難だ。入学時点で高い日本語能力を持つ留学生を獲得できない状況が続けば、受け入れ枠の削減を検討する大学も出てくる」  現在、全体の約1割を占める国費留学生を除けば、日本を訪れるのはアジア各地の私費留学生が目立つ。塩崎氏は「日本語能力の高い留学生を獲得するため、奨学金などの優遇措置を設けるか、受け入れそのものを断念するかの2択になるだろう」と予想する。

◆優秀な学生争奪戦、語学的に不利な日本が勝ち残るには

「学費値上げ断固阻止!」とプラカードを掲げ、抗議活動する留学生ら=東京都小平市の武蔵野美術大前で(留学生提供)

 武蔵美は値上げの目的の一つに日本語教育の充実を挙げたが「入学後に日本語教育を強化するという第3の選択肢には無理がある。小学校低学年程度の日本語能力しかない留学生を、1、2年で大学レベルに引き上げることはできない」という表現で疑問を呈した。  国立大はどう動くのか。「こちら特報部」が7月中旬に問い合わせると、学生全体の学費値上げを検討中の東京大は「留学生に限定した検討は現時点で行っていない」と回答。京都大、名古屋大からも同じ趣旨の回答が寄せられた。  「検討していない」と答えた東北大は「優秀な留学生の獲得が諸外国の大学との競争となっている。必要な教育研究環境の整備のあり方を総合的に勘案する」との見解を示した。留学生に限らず、2019年度から学部の授業料を20%値上げし、年約64万円とした東京芸術大は「省令の改正や武蔵美の発表から間もなく、議論は進んでいない」とした。

東京芸術大

 いずれも現状維持の方針だったが、今後、変化が出るという見方もある。

◆諸外国との優秀な学生争奪戦、日本が引き付けるには

 北海道大の光本滋教授(教育学)は「既に留学生の定員は別枠と定められており、留学生は国立大の『稼ぐ手段』に変容しようとしている。日本人学生との2本立ての学費体系が常態化するのではないか」とみる。そして、留学生を引きつける国であるのかという観点も踏まえ、こう続けた。  「米国や英国、オーストラリアでは留学生の学費を高く設定しているが、英語圏の大学は黙っていても優秀な留学生が集まるような状況。教授言語が日本語という日本の大学の立場は弱い。教育環境の整備に力を入れるのは理解できるが、留学生に直接的な負担を強いるのが適切なのか、その点には疑問符が付く」

◆デスクメモ

 美大の学費は一般大学より高い。年36万円の上積みに平気な人がどのくらいいるだろう。留学生は入管難民法でバイトは原則週28時間以内と規制されている。簡単に穴埋めできる額ではない。増額は留学生の日本語力向上のためというが、まず大学の対話力を磨くべきではないか。(北) 

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