東京大が検討を表明した授業料値上げの波紋が広がっている。本郷キャンパス(東京都文京区)で6日開かれた緊急全学集会には、反対する約350人の学生が結集した。一部の教員も学生寄りの立場を鮮明にしている。両者が共有していたのは、単なる学費増への忌避感ではなく、「大学は富裕層のものなのか」という危機意識。大学側の独断を懸念し、学長ら大学幹部に、対話に応じるよう求める声にあふれていた。(西田直晃)

◆「そうだ!」「ナンセンス!」 緊急全学集会

満員となった緊急全学集会。駒場キャンパスの学生もオンラインで参加した=東京都文京区で

 「東大の授業料値上げを食い止め、全ての人の教育にアクセスする権利を保障しよう。私たちの世代のためだけではない。次世代、そのまた次世代に託すための闘いです」  安田講堂に近い大教室。登壇したのは、法学部4年の男子学生だ。講談調の演説のさなか、「ようし!」「そうだ!」と鋭い合いの手が飛び、賛意を示す拍手が鳴り響く。代わる代わる自説を述べる学生たち。大学の姿勢に話が及ぶと、「ナンセンス!」とやじが重なる。約200人の座席は全て埋まり、立ち見も数十人に達した。  全学集会に至ったのは、大学側が「一方的に授業料値上げを計画し、学生の大学運営への参画の機会を奪っている」(男子大学院生)ためという。一部の学生は学長との面談による対話を求めているが、大学側からは「オンラインで」と言われている。この日は、それぞれに抗議していた10団体が集合し、値上げ撤回や情報開示の要求、学生と教職員の連携強化などを盛り込んだ6項目の決議を全会一致で採択した。

◆大学側は独自の経済支援策の拡充も検討

 複数の関係者によると、5月中旬に東大の値上げ検討が報じられた直後、学部・修士課程、博士課程の授業料を約2割引き上げる案が教員に示された。これは約10万円の値上げに当たる。大学側は独自の経済支援策の拡充も検討し、世帯所得が年間400万円以下の学部生が対象の学費全額免除を、同600万円以下の学部生と大学院生に拡大。経済状況次第で、その他の学生も一部の学費が免除される構想もあるという。

東大の公式サイトに掲載された藤井輝夫総長名のコメント文。「値上げをする場合、経済的困難を抱える学生への配慮は不可欠」などとしている

 東大広報課は「多面的に検討中で、現時点で公表できる情報はない。公表の時期も未定」と東京新聞「こちら特報部」の取材に回答した。  東大の学費は現在、文部科学省令で定める年間53万5800円の「標準額」。省令は最大20%の引き上げを認めているが、取材に応じた女子学生は「地方から上京したので、1人暮らしの生活費がかさむ。パソコンなどの必需品も自前で購入しなければならない」と窮状を訴えた。

◆富裕層が目立つ東大生 4割は世帯年収が1050万円以上

 全学集会では、3人の教員も演壇に立った。本田由紀教授(教育社会学)は「大学上層部への怒りだけではなく、広い視野で考える必要がある。『教育はカネで買え』という国の姿勢は顕著で、東大の側も苦しんでいる」と唱えた。

東京大の安田講堂=東京都文京区(資料写真)

 首都圏出身かつ、富裕層の東大生が目立つ現実もあるという。2021年度の学生生活実態調査によれば、世帯年収が1050万円以上の学部生は40.3%。大学院理学系の男子学生は「東大生の抱える特権性の表れだ」と懸念する。  東大が今後も要望に応じない場合、決議案を起草した学生は「選択肢の一つ」として、学生ストの可能性にも触れた。会場からは「異議なし!」と声が上がったものの、拍手の音量はやや小さめ。「授業を受けたい人の権利を侵す」「民主的な手続きが必要だ」と慎重論も聞こえた。  登壇者の1人である鈴木泉教授(哲学)は「地方出身者がさらに減り、東大の理念である多様性に反する。東大の授業料値上げは日本全体に波及してしまう」と危ぶんだ。

◆高等教育の私費負担割合は67% OECD平均31%を大幅に上回る

 実際、東大の授業料値上げ検討が伝わると、余波は地方に及んだ。広島大の越智光夫学長は5月下旬、「値上げを検討している」と会見で表明。熊本大の小川久雄学長も6月5日の会見で「学生の教育環境を確保できるのかを見極めている」と述べ、今後の増額の可能性を示唆した。  国立大の授業料標準額は2005年度から据え置かれているが、東京工業大や一橋大、千葉大など計7大学は、既に標準額を超える授業料を設定している。前出の本田氏は「日本の大学の8割を占める私立の値上げに合わせ、国立が追いかける状況が長く続いてきた」と指摘する。

東京大本郷キャンパス=東京都文京区(資料写真)

 経済協力開発機構(OECD)の22年の調査によれば、日本の高等教育の私費負担の割合は67%に達し、加盟国平均の31%を大幅に上回る。「ただでさえ、個人や家庭の比重が大きいゆがんだ構造なのに、さらに学生に負担が転嫁される異常な状況」と本田氏は話す。

◆『稼げ、稼げ』と国立大は強制されてきた

 こうした傾向に拍車をかけた分岐点が、大学経営に「自己責任」が導入された04年の国立大の法人化だ。各大学は「競争的資金」と呼ばれる外部の研究予算の獲得を要求され、基盤的経費となる国からの「運営費交付金」は削られ続けた。23年度は1兆780億円。04年度から13%減少した。  22年5月に関連法が成立した「国際卓越研究大学」制度では、10兆円規模の基金を設けて国が認定した大学を運用益でサポートする仕組みも構築された。

東京大駒場キャンパス=東京都目黒区(資料写真)

 一方で知的財産権の取得や土地の貸し付け、大学債の発行などが求められ、本田氏は「『稼げ、稼げ』と国立大は強制されてきた。日本の資産としてわずかに残った大学に手を突っ込み、価値を吸い取ろうとしているのが国や産業界の今のやり方だ」と懸念する。

◆政府や産業界との「一体化」が進む大学

 法人化以降の締め付けは財政面にとどまらない。岡山大の堀口悟郎教授(憲法)は「学長の権限強化といったトップダウン化が進行し、大学の自治がやせ細ってしまった」と解説する。  法人化前の国立大教員には、教育公務員特例法が適用されていて、意思決定を担う教授会の自治が保障されていた。だが、法人化で適用対象外に。14年の学校教育法改正で教授会の役割はさらに縮小され、「学長に意見を具申する」機関に格下げされた。  国際卓越研究大学制度では、外部有識者などでつくる「運営方針会議」の設置が定められ、昨年12月に成立した改正国立大学法人法でも、東大や京大といった大規模国立大が同じ義務を負った。「トップダウン化に加え、産業界等の学外者の関与が拡大したことで、民主的な大学運営が困難になった」と堀口氏は言う。

◆構成員が意見を交わす「協治」を願う声

 巧妙に作り上げられたトップダウン方式によって、東大の授業料値上げへの反対論も黙殺されようとしている中、学生の一部が訴えるのは、法人化前の03年に制定された「東大憲章」の理念への回帰だ。学生と教職員は「その役割と活動領域に応じて、運営への参画の機会を有する」とある。  両者は大学の「構成員」ではないのか。全学集会に登壇した東大の隠岐さや香教授(科学史)は「米国の例では、カリフォルニア大の学長選考会議は、学生や同窓生の代表も加わる。私立大の理事会の権限は強くても、教員や学生が意見を語る機会は確保される」と説明する。  「構成員が意見を交わす『協治』が大学のあるべき姿だ。各国で1960年代以降、このシステムが整ったが、日本は学生運動の退潮もあり、仕組みづくりに失敗している」として、こう続けた。「今回の学生の行動が、日本に欠けた協治を築く第一歩になると思う。意見が無視されたままで授業料値上げを許さないという姿勢を示すのが、東大を世界に誇れる大学に変えるのではないか」

◆デスクメモ

 「国立大授業料を年間150万円に」。3月の慶応義塾長の提案が流れをつくったように見えるこの問題。私は住宅ローンを抱えた親に負担をかけて申し訳ないと思いつつ私大に通った。高い方に合わせるのはやっぱりおかしい。教育の主人公は学生。声を受け止めるのは大人の責務だ。(恭) 

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