いったい何を凝視しているのか。

手をかざして遠くをみやる姿。いかめしい表情ではあるが、どこかユーモラスな印象を受ける。京都・浄瑠璃寺に薬師如来とともにまつられていた十二神将像のうちのひとつ、戌(じゅつ)神である。

十二神将は経典に「十二夜叉(やしゃ)大将」とあり、薬師如来像の眷属(けんぞく=従者)とされる。また、薬師如来の十二の大願に応じて現れる分身とも考えられている。もとは仏法に帰依したインドの古来神で、仏像のカテゴリーでは「天」に属する。十二という数が十二支と一致しているため、中国で十二支と結びつけられた。日本でも平安時代以降の十二神将像の頭の上に十二支の動物がつくのはそのためだ。「戌」は「犬」で、この像の頭にも犬の顔がついている。

眼を玉眼で表現するなど鎌倉時代の特徴を示し、浄瑠璃寺に伝わる文献などからも13世紀初頭の作とされる。左肩の天衣をまっすぐに垂らさずに、身体の動きに合わせて表現しているあたりが、本像の動的な印象を強めている。こうしたデフォルメ表現(過度な写実)などから、鎌倉時代の代表的な仏師集団「慶派」に属するものの作と推測できる。

十二神将像は甲冑(かっちゅう)を身に着け武器を持つ姿で表現されるが、中国の作例をみると当初は菩薩(ぼさつ)の姿で表現されていたらしい、それが7世紀頃に武将形に変形して、日本に伝わってきたと思われる。ちなみに十二神将は部隊の大将であり、それぞれ7000人の兵隊を率いている。つまり薬師如来像の周りに十二神将が表現されていれば、姿は見えないが総勢8万4000人の歩兵が薬師如来像を守護していることになるのだ。

浄瑠璃寺旧蔵の十二神将は、1884(明治17)年ごろまでに寺外に流出し、コレクターの手に渡るなどしたが、現在は東京国立博物館に5体、静嘉堂文庫に7体がそれぞれ所蔵され、全てが重要文化財に指されている。海外に散逸することなく、関東大震災や太平洋戦争で焼け落ちることなく、12体ともが奇跡的に現代まで生き延びてくれたことに感謝せずにはいられない。

十二神将立像 戌神

  • 読み:じゅうにしんしょうりゅうぞう じゅつしん
  • 像高:75.3センチ
  • 時代:鎌倉時代
  • 所蔵:東京国立博物館
  • 指定:重要文化財

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。