明治の近代化を支えた炭鉱の島
長崎市中心街の南西18.5キロの洋上に浮かぶ端島(はしま)は、大正時代の戦艦「土佐」に似たシルエットから付いた「軍艦島」の通称で広く知られる。近代的な廃虚群に緑が生い茂る風景は、まるでジブリ映画『天空の城ラピュタ』のように幻想的で、上陸ツアーは大人気だ。
岸壁の上に廃ビルが林立
元々は、草木すらない岩礁だった。岩崎弥太郎率いる三菱財閥が1890(明治23)年、海底炭田を採掘するために人工島を開発。島の石炭は官営八幡製鉄所(福岡県)などに供給され、三菱の繁栄と日本の近代化に大きく貢献した。需要の高まりと共に鉱員とその家族らも増えたため、埋め立て工事を繰り返して面積は約3倍に広がった。
坑道内部の作業風景(軍艦島デジタルミュージアム提供)
炭鉱の安全を祈るお祭り(軍艦島デジタルミュージアム提供)
狭い孤島のインフラ整備のため、三菱は時代ごとに最先端の土木・建築技術を投入した。鉄筋コンクリート(RC)造の7階建てアパート(1916年完成)や海底水道(57年完成)など、日本初の施設や設備がいくつもある。高度成長期にはRC造のアパート30余りに加え、小中学校や病院、映画館、パチンコホールに社寺までそろう街へと発展。人工物だらけの「緑なき島」と呼ばれたが、1910年代からアパートの屋上には農園が造られていた。高層化と緑化を進めた街は、現代のコンパクトシティーの先駆けといえる。
日本初の屋上農園(軍艦島デジタルミュージアム提供)
青空市場のにぎわい(軍艦島デジタルミュージアム提供)
最盛期の1960年には、現在の国立競技場よりも小さな約6.3ヘクタールの島に5200人超が暮らし、同時期の東京都やニューヨークをはるかに上回る人口過密都市だった。生活水準も高く、国内普及率10%だったテレビをほぼ全世帯が所有していたという。
高度成長期に日本の主力エネルギーは石油や天然ガスに以降したものの、島の石炭は製鉄用だったため需要を保っていた。しかし1964年、火災事故によりメインの坑道が水没してしまう。新たな坑道開発は難しく、三菱は「安全に採取できる石炭は枯渇した」と判断。端島炭鉱は黒字のまま74年1月に閉山し、4月には無人島となった。
さよならパーティー(軍艦島デジタルミュージアム提供)
島が再び脚光を浴びるのは2000年代に入ってから。01年に三菱グループから長崎市に所有権が移り、08年にユネスコの世界遺産の暫定リスト入りしたのだ。一般客の見学ツアーが09年に始まると、写真映えする景観によって若者を中心に人気を集める。『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(15年公開)など映画のロケ地にもなって、知名度はどんどん上昇。15年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界文化遺産に認定された。
産業革命遺産を巡りながら軍艦島へ
閉山から半世紀がたった2024年は、高度成長期の島を舞台にしたテレビドラマ『海に眠るダイヤモンド』が放映。さらに注目度はアップし、現在5社が実施する上陸ツアーは軒並み盛況だ。
上:軍艦島コンシェルジュのクルーズ船。2階席は視界良好でお土産などのサービスも 下:自由席。各室にモニターを設置、長崎の世界遺産などの解説映像が英語字幕付きで流れる(軍艦島コンシェルジュ提供)
ツアー会社の一つ「軍艦島コンシェルジュ」のクルーズは、産業革命遺産巡りの魅力も併せ持つ。1日2便が発着する常盤港は、同じく世界遺産の構成資産であるトーマス・グラバーの旧邸に程近い。船上からは、日本最古でいまだ現役の電動クレーン(1909年完成)や、国内外の要人をもてなした洋風迎賓館(1904年完成)など、三菱長崎造船所の非公開施設を一望にできる。航路上の高島には、グラバーが開発に携わった三菱炭鉱もあった。こうした風景の解説に聞き入っていると、40分の船旅はあっという間だ。
左:高さ62メートルの「ジャイアント・カンチレバークレーン」 右:高台に立ち、長崎港の景勝を独り占めできることから「占勝閣」と命名された洋館
中央右手、緑色の水門の奥に船舶の造営・修復用のドックがある。これも産業革命遺産の一つ
やがて海原に軍艦島が姿を現した。島の周囲は明治期の石組みを補強するため、最高15メートルのコンクリートで護岸されている。世界遺産の構成資産はこの岸壁と、地下1000メートルの海底坑道の二つで、島全体が遺産保護のための緩衝地帯である。
上:手前右が係留施設。丘の上で目を引く白い灯台は無人化後の建造 下:岸壁は外海の荒々しい波に洗われ、古い石組みがあらわになった部分もある
船着き場をスタートして鉱業施設エリアが見学コース(軍艦島コンシェルジュ提供)
上陸時間は40~50分。ツアーガイドと共に、鉱業施設だったエリアを片道220メートルほど歩く。地下600メートルのエレベーターがあった竪坑(たてこう)、炭鉱マンの共同浴場があった総合事務所などを巡り、最後にアパート30号棟を見学。日本最古の高層RC造アパートは、いつ倒壊してもおかしくないほど劣化が進んでいるという。間近に見る廃虚の姿は、海上から眺めるよりはるかに迫力と哀愁を感じられる。
総合事務所(上写真・左)と竪坑(右)、30号棟(下・正面)の前で解説タイム(共に軍艦島コンシェルジュ提供)
住居エリアは建物崩落の危険があるため立ち入り禁止。ごくまれに波が高いと着岸できず、島の周囲を船で巡る周遊ツアーに変更することもある。失われていく街の遺構を瞳に焼き付け、往時の営みに思いをはせてほしい。
周遊ツアーでは航路と反対側の島の西側もじっくり眺められる
ミュージアムで廃虚をバーチャル探検
軍艦島コンシェルジュのツアーは「軍艦島デジタルミュージアム」の入館とセット。発着場から徒歩5分の場所にあり、上陸前の予習や上陸後の余韻にふけるには最適だ。
上:4階建てでカフェ併設 下:1972年に3カ月間、30号棟に住み込み作業員として働いた経験を持つフリーカメラマンのギャラリー
上:屋上農園があったアパートの模型 下:50年代後半のアパート内の再現セット
館には元島民からの資料の寄贈品や、島を愛するクリエイターによるデジタル展示が豊富。ドローン映像のVR視聴コーナーもあり、廃虚の街の空中散歩気分を味わえる。長崎観光の際は都合が合わずツアーに参加できない人も、近隣の名所グラバー園と併せて訪ねておきたい。
上左:閉山直後の島内を3DCGで再現した「軍艦島探訪記」 上右:エレベーターやトロッコの高速移動を疑似体験できる「採炭現場への道」 下:画中の建物に影を落とすと明かりがともるインタラクティブ展示「Wonder Island」
軍艦島コンシェルジュは長崎市の協力の下、住居エリアを見学できる特別ツアーを25年に開始予定だ。近代から高度成長期の営みを伝える住宅群は、風雨にさらされて崩れ続け、刻一刻と姿を変えている。“昭和の遺跡”は訪れるたび、一期一会の絶景で魅了してくれるだろう。
島の景色は時と共に移ろい続ける(軍艦島コンシェルジュ提供)
ツアーの詳細・予約は「軍艦島コンシェルジュ」公式ホームページを参照
取材・文・撮影(クレジットのない写真)=ニッポンドットコム編集部
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