[心のお陽さま 安田菜津紀](36)

 韓国の政治が大きく動いている。12月3日夜、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領は突如、一切の政治活動を禁じるなどとした「非常戒厳」を宣布した。議員らが国会で速やかに解除要求を決議したものの、軍が国会へと侵入する映像には私自身も衝撃を受けた。

 かつて光州での民主化運動で軍事独裁政権から弾圧を受けた人たちの取材を近年重ねている。戒厳令下、軍に息子を殺害された母たちの悲しみ、連行され拷問された女性たちのトラウマは、深いものがあった。被害は今も、続いているのだ。ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの小説『少年が来る』にも、生き残った者、遺された者の苦しみがありありと綴(つづ)られている。

 しかしこの民主化運動を「アカの仕業」「北朝鮮が介入した暴動」とする不当な“レッテル”やデマは今も根深く社会に巣くう。そして今の韓国大統領が、「従北勢力を撲滅し憲政秩序守る」と言いながら、戒厳令をよみがえらせるとは思いもしなかった。

 こんなにも筋の通らない非常戒厳を前に、さすがに軍も本気で市民に暴力を向けることはなかったが、それでも国会前へと駆けつけ、抗議の声をあげた人々には敬意しかない。同時に、「すごい」とただ称賛する声には違和感を覚える。力と恐怖で支配したかつての軍事政権は、日本の植民地支配と地続きのものだ。多大な犠牲を強いられながら民主化が成し遂げられてもなお今回の事態が起きた。一度植え付けられた構造的暴力を払拭することは容易ではない。日本の歴史と切り離して考えられる問題では決してないのだ。

 もう一つ、気がかりなことがある。この事態を受けて、なぜか日本の一部政治家から、「日本にも緊急事態条項を取り入れよう」と勇ましい声が聞こえてくる。しかし今回突きつけられたのは、権力が瞬間的、恣意(しい)的に肥大化する装置が社会に埋め込まれていることも怖さではないだろうか。今の社会に必要なのはむしろ、混乱に乗じて無理筋な主張を押し通そうとする権力者に歯止めをかけることではないだろうか。(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)

=第3月曜掲載

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