そろそろ調教師を目指して…現実からの逃避
北橋厩舎、瀬戸口厩舎の解散と岩田康誠くんの中央移籍が重なり、自分の限界を感じ始めていた2007年、エイシンドーバーに騎乗した京王杯スプリングカップで、その年初めて重賞を勝つことができた。勝利ジョッキーインタビューで思わず出た言葉が、
「これでもう少しジョッキーを続けられそうです」
周囲はこの発言に驚いたそうで、翌日のスポーツ紙でもかなり大きく取り上げられたが、自分としては冗談でも何でもない、本心だった。
思えば、精神的に最も追い込まれていて、ジョッキーを辞めることも本気で考えていた時期。だからこそ、この勝利に救われた気がしたのだ。
とはいえ、この1勝で一気に霧が晴れたわけではない。ジョッキーとして自分にはもう伸びしろはないと思っていたし、このまま頑張ったところでどうせ一番にはなれないのだから、調教師を目指すという道もそろそろ考えなければ……。そんなことを考えながら、しばらくは悶々とした日々を過ごしていた。
でも、今ならはっきりとわかる。これは明らかに自分への言い訳であり、調教師への転身にしても、つらい現実からの逃避である。傷つきたくないから、傷つく前に自分を守る。こうした一面は子供の頃からあって、それは今でも少なからず残っている。
それにしても、あのとき調教師を目指さなくて本当によかった。
結果論だが、あの状況で「ジョッキーがダメなら調教師に……」なんていう考えで仮に転身できたとしても、うまくいくはずがないのだ。なぜなら、何の行動も起こさず、頭の中だけで自分を追い込んで、自分で自分に言い訳し、今いる場所から逃げようと思っていただけなのだから。
もし、あのときに調教師を目指していたら──ほんの少しのボタンのかけ違いで、良くも悪くもまったく違う人生につながる。そう考えると、背筋が凍る思いだ。
リーディングなんて獲れるわけがない
何かで一番になりたくてこの世界に入ったからには、当然「いつかはリーディングジョッキーに」という思いはあった。
自分がデビューしてからというもの、2008年まで全国リーディング1位はずっと(武)豊さんで(2001年のみ蛯名正義騎手※現調教師)、なかでも2003年から2005年は3年連続年間200勝超えと、それはもう圧倒的だった。
2003年は2位の(柴田)善臣さんと85勝差、2004年の2位も善臣さんで66勝差、2005年は2位のノリさん(横山典弘騎手)と78勝差。この2位との差を見れば、いかに独走状態だったかがわかるだろう。
そんな圧倒的な差を見せつけられているうちに、自分も周囲もいつしかあきらめの境地に。実際に「リーディングなんて獲れるわけがない」と口に出してもいた。
でも、たった一人、そんな空気を断ち切ろうとしていたのが岩田くんだった。彼は〝テッペン〟を獲るために中央に移籍したと言い、その熱い思いを自分にもぶつけてきた。
「祐一くん、世代交代を実現させるために、一緒に戦おうや。二人でもっともっと上を目指そう」
そんな岩田くんに対し、自分がどう答えたかというと……
「うん……。でも無理だよ。無理だって(苦笑)」
完全に牙を抜かれていた。そんな自分に、
「祐一くん、そんなんじゃアカン。一人では世代交代はできひん。一緒に上を目指そうや」
岩田くんはそう言って、何度も何度も発破をかけてくれた。すぐには同じ気持ちになれなかったが、岩田康誠という存在、そして彼の言葉の数々が、自分に変化をもたらしたのは紛れもない事実。
自分が進化しなければ、そんな岩田くんとも対等に戦うことはできない。初めて自覚した嫉妬心は、こうして大きな変化のきっかけになったのだ。
改めて振り返ってみると、何がすごいって、気づいたら牙を抜かれていたという状況を作った豊さんだ。豊さんがそうした状況を意図的に作ったのかどうかは別として、自分がトップに立つために、相手の心をへし折る、牙を抜く、闘争心を削(そ)ぐというのは、ものすごく大事な戦術だ。
勝負の世界では、「この人には敵わない」と思わせた時点で勝ち。何年もの間、多くのジョッキーをそう思わせ続けた豊さんは、本当にすごいと思う。
理論派の騎手と感覚派の騎手の違い
「競馬界屈指の理論派」──自分は長らくそんな見方をされてきたが、実はそう言われることをあまり歓迎していない。なぜなら自分の場合、天才でなかったがゆえに、勝ち続けるには理論を突き詰めるしか術がなかったから。そうせざるを得なかった結果だからだ。
もちろん、考えて乗ることは大事だ。感覚派と言われる人であっても、何も考えずに乗って勝てるほど競馬は甘くない。ただ、感覚派の人は、理詰めでは乗らない。
本音を言えば、自分も感覚を駆使して勝ちたかったし、感覚派と呼ばれる面々に入りたかった。
馬は生き物であり、人間がそうであるように、一日として同じ精神状態、同じ体調の日はない。だから、ジョッキーは感覚で勝てるのが一番。今でもその思いは変わらない。
自分の中で「究極の感覚派」といったら、やはり岩田くんだ。感覚で馬を速く走らせることができるのだが、あくまで感覚だから、その手法を人に伝えるのは難しい、というような。それこそ天賦の才。彼はそういう才能の持ち主だと思っている。
ちなみに、豊さんも感覚派に近いイメージがある。あくまで自分のイメージだが、周りが思っているほど理論に頼らず、豊さんならではの感覚で乗っているような気がする。若い頃はプライベートでずっと豊さんと一緒にいたのに、一度もそういう類の話をしてくれたことがないため、真偽のほどは定かではないが(笑)。
一番仲が良い後輩として長い時間を共に過ごしてきた(川田)将雅は、自分と同じく、とことんまで考えるタイプだが、自分と違うのは騎乗センスがあること。将雅が競馬学校生の頃、トレセン研修に来た際に、将雅たちの期が馬に乗っている姿を一緒に見ていた四位(洋文)さんが、おもむろにこう聞いてきた。
「祐一、この期で誰が一番伸びてきそうだと思う?」
「川田じゃないですか」
自分は即答。ほかの子とは〝鞍はまり〟が全然違ったからだ。
〝鞍はまり〟とは、簡単に言うとパッと馬に乗ったときの安定感であり、安定感があれば、必然的にフォームも美しい。それは、いわゆるセンスであり、当時から将雅のセンスの良さは目についた。
将雅は人づき合いが苦手で、最初は苦労したわけだが、センスのある人間が人一倍努力をすれば、やっぱり強い。2022年に6年ぶりとなる日本人リーディングを獲り、史上4人目の騎手大賞(最多勝利、最高勝率、最多賞金獲得の3部門すべてでトップだった騎手に与えられる賞)に輝いたときも、まったく驚きはなかった。
センスがあっても思ったように頑張れなかった人もたくさんいるから、やはり「努力をすること」「その努力の方向性を間違わないこと」が大事なのではないかと思う。
自分は対極にいるからか、感覚派のデメリットを感じることもある。これは誰かを指しての印象ではなく、あくまで全体像だが、感覚で乗っているぶん、自分がうまく乗れたときの理論づけをする必要性がないから、逆にうまくいかなくなったときのリカバリーに苦労するのではないかと想像する。
なぜうまく乗れたのか、なぜうまく乗れなかったのか。自分はそのすべてに理論づけをしていたから、たとえうまくいかないことが続いても、すぐに修正していくことができた。感覚で乗っていると、おそらく修正が利きづらい。そこは数少ないデメリットであるような気がしている。
自分にはセンスがなくてよかった
将雅について、「競馬学校生の頃からセンスの良さが目についた」と書いたように、同業者であれば、ひと目見ただけで〝鞍はまり〟の良し悪しはわかる。自分が先輩たちから笑われたのもそこだ。
将雅はともかく、最初からセンスを感じさせる子というのは、新人時代から「うまいね」と声をかけられ、得てしてちやほやされがち。だからなのか、そこで成長が止まってしまう子も多い気がする。
実際、最初は「もうひとつかな」と思った子が徐々に変わってきて、ちやほやされていた「最初からうまい子」を超えていくケースを何度も見てきた。徐々に変わってきたということは、自分の足りないものに気づいて修正したということ。もし、ちやほやされていた子に慢心があれば、あっという間に逆転されて当然なのだ。
なぜなら新人時代に「うまいね」と言われる子は、あくまでセンスがあるだけであって、レースで即通用する技術があるわけではない。ちやほやする周りの大人たちの責任もあるが、それを理解せずに研鑽を怠った結果、思ったよりも伸びず、いつの間にか埋もれてしまう。悲しいかな、そういう子が多い気がするのも事実だ。
もちろん、優れた感覚やセンスは重要な要素で、それが岩田くんくらい突出したものであれば、感性だけでトップに上り詰めることもできるだろう。でも、それは本当に選ばれし人だけ。最初から目を引いた将雅だって、もし最初からちやほやされていたら、どうなっていたかわからない。
『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(KADOKAWA)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします自分がデビューした頃は、「天才の息子」という別の意味でちやほやされたが、「最初からうまい子」ではなかったし、自分でもそれがわかっていたから、勘違いすることも慢心することもなかった。
自分がここまで来られたことを考えると、大切なのは、もう一つの目を持って、自分を俯瞰できるかどうか。そのうえで、自分は何に優れていて、何に劣っているかという自己分析をきちんとできるかどうかだと思う。
それができれば、あとは自分に合った手段を探し続けること、それを察知するアンテナの感度を保っておくこと。そして、そうした歩みを止めないこと。
自信がある人は、壁にぶち当たったときにその原因を周りに求めてしまいがちだが、嫌というほど自己分析をしていた自分は、大きな壁にぶち当たったとき、「ゼロになろう」と決めた。そうした決断を経て今にたどり着いた自分としては、「センスがなくてよかった」とすら思う。
もちろん、最初からあり余るセンスと才能があったら、岩田くんに嫉妬することも、挫折感を味わうこともなかったのかもしれない。しかし今、ジョッキーとして歩んだ27年間を振り返ったとき、そこには確かに誇れるものがある。もしセンスと才能があったら、手に入れられなかったものがたくさんあったからだ。
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