513人。これは厚生労働省が今年3月に公表した、2023年の小中高生の自殺者数だ。2022年の514人に次いで過去2番目に多い。
背景の1つとして考えられるのが、いじめの増加だ。文部科学省によると、2022年度に小中高校と特別支援学校で認知したいじめ件数は過去最多の約68万件。小中学校における不登校者数も過去最多の約30万人を記録している。
これらの数字は、2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」の機能不全を示している。同法はいじめを禁じ、防止体制の構築や重大事態発生時の調査などを義務づける。
一方、破ってもペナルティーはなく、ないがしろにする学校が存在するのも事実。結果的に被害者やその家族は精神・経済の両面でさらに追い詰められる。教訓も満足に残せず、新たな悲劇が全国で繰り返されている。
子供の犠牲をなくすために、実効性のある法制度をーー。昨年末、インターネット上で法改正を求める署名活動が立ち上がり、賛同者はすでに1万5000人を突破している。発起人は、いじめ自殺で息子を亡くした1人の母親だ。
学校側による自殺の隠蔽提案
「『いじめ防止対策推進法』を改正してください! ―いじめ自殺を『突然死』で公表しようとしても許される法律に罰則を―」と題したオンラインによる署名活動を始めたのは、長崎市に住む福浦さおりさん(苗字のみ仮名)。
2017年4月、長崎市の私立海星高校2年生だった息子・勇斗くんを自殺で亡くした。
幼少期の勇斗くん。高校2年生のときにいじめを苦にし自ら命を絶った(遺族提供)福浦家は年に数回の家族旅行を楽しみに暮らす、ごくありふれた家庭だった。勇斗くんは亡くなる当日も普段通りだったという。いつものように登校し、帰宅後は弁当箱を台所に出した。そして夜に行方不明となり、翌日の朝、近所の公園で首を吊った状態で発見された。
さおりさんは「何でも話せる仲だと思っていたのに、悩みには気づけなかった」と後悔をにじませる。愛息を突然失い、焦燥と自責の念でパニック状態の両親に対し、学校側の姿勢はおよそ誠意を欠いたものだった。
自殺の約1週間後、武川眞一郎教頭(当時、現在は校長)が「マスコミも海星高校の生徒だと気づいていないし、突然死したことにしないか」と隠蔽を持ちかけてきたのだ。その翌日には「遺族が望むのなら、転校したことにもできる」と提案してきた。
勇斗くんが残した遺書や手記には、いじめ被害の示唆や加害者の実名が含まれていた。真相を知りたかった遺族は、武川氏の申し出を断り、第三者委員会による真相究明を求めた。
学校側は第三者委の設置には応じたが、それ以外は遺族の要望をことごとく拒否した。全校保護者会の開催、勇斗くんのクラスでの命に関する話し合い、加害者への指導……。いずれも再発防止を願っての依頼だったが、学校側は「すべて第三者委に任せた。彼らにやれと言われたらやる」と繰り返した。
第三者委は約1年4カ月の調査を経て、2018年11月に「自死の主たる要因はいじめ」と報告書で結論づけた。教職員のいじめ防止に対する認識や取り組みが不十分だと主張し、加害者への指導などを求めた。
ところが、学校側は第三者委の結論を「論理的な飛躍がある」などと批判し、報告書の受け入れを拒絶。結局、加害者は何の注意も受けないまま、2019年3月に卒業した。
死亡見舞金を口封じの材料に
遺族は行政にも助けを求めた。報告書の完成前、長崎県学事振興課(海星高校は私立なので教育委員会の管轄ではない)に窮状を訴えたのだ。だが、担当者の返答は「学校側は真摯に対応している」というものだった。
県と遺族、学校による3者での面会でも、県担当者は「(武川氏の)突然死の提案はギリ許せる」と発言。さおりさんは文科省に電話で相談したが、「私立高校に対応すべきは県」と取り合ってもらえない。現行のいじめ法制度では、私学への介入権限が行政側にないのだ。
後に報道でこの事実が明るみになると、不適切な発言だったとして、県側は遺族へ謝罪した。一方、釈明のために県が開いた会見では、「学校側の言動を積極的に追認したわけではない」と説明している。
学校側は日本スポーツ振興センター(JSC)への災害給付金の申請も拒否した。学校管理下のいじめで子供が亡くなった場合、遺族は学校保険制度に基づき、死亡見舞金を受け取れる。この手続きに応じなかった。
その理由について、武川氏は保護者説明会で「帰宅後に亡くなったので、端的に言って学校の管轄外」と述べた。さらに学校側の弁護士は遺族側に「損害賠償請求権を放棄するなら、死亡見舞金の申請を考える」と持ちかけてきた。この時点では遺族から損害どころか謝罪の要求すらしていないにもかかわらず、である。
「子供の権利を取引材料に使って許されるのか。私たちは見舞金が欲しいわけではなく、息子の死にきちんと向き合ってもらいたかっただけ。お金で口封じを試みてきたのは許せなかった」(さおりさん)。遺族側は弁護士を雇い、自力で書類をそろえて学校経由でJSCへ申請。2020年3月に2800万円の給付を受けた時は、勇斗くんの死から約3年が経過していた。
対応に疲弊する遺族
この間、遺族は対応に追われ続けていた。法律の条文や国の通知、過去のいじめ自殺の報道などを読み込んで理論武装。県職員や学校の教員と面会し、弁護士と打ち合わせ、マスコミの取材に応じる。さおりさんは会社員としてフルタイムで働きながら、これらをこなした。
さらに民事訴訟を決意したことで証拠資料の収集と作成も加わった。弁護士が裁判所へ提出する書面の元は、自分で用意しなければならない。県への情報開示請求を繰り返し、録音していた学校側との膨大なやり取りを一から書き起こした。
徹夜での作業も珍しくない。それでも時間が足りず、仕事の昼休みも使った。ただでさえ精神的に不安定な状況で、さおりさんは心身共に疲弊。鬱病と診断され、現在も睡眠薬が手放せない。体調を崩して入院し、手術を受けたこともある。
自殺現場で手を合わせる遺族。「訴訟の目的はお金ではなく、海星高校の態度は許されないと司法でハッキリさせること。いじめ自殺の遺族は社会的に孤立し、取り残されている」とさおりさん(遺族提供)経済的な負担も大きい。毎月1回、精神科への通院は欠かせない。薬代を含めると、通算で数十万円を治療に費やしている。開示請求の手数料や資料のコピー代などもバカにならない。そして、弁護士費用も重くのしかかる。
死亡見舞金の給付申請や訴訟の着手金、証拠保全手続き……。交通費などの諸経費を合わせると、累計で600万円以上を支払った。福浦家は勇斗くんの災害給付金でこれらの費用を賄っている。
ただ、いじめ自殺を学校側が認めないほかの事案では、JSCが死亡見舞金を不支給とするケースもある。さおりさんは「わが子のために闘いたくても、経済的な理由で諦めざるを得ない人も中にはいるのではないか」と推測する。
学校の教職員や県の担当者は業務時間に応対する。つまり、仕事の一部だ。学校側の弁護士も、報酬は学校法人から受け取るだろう。手弁当を強いられる遺族との差は、あまりにも大きい。
二度と同じ苦労をしてほしくない
遺族は2022年11月、いじめ自殺をいまだに認めない学校側に対し、約3200万円の損害賠償などを求めて長崎地裁に提訴した。学校側は争う姿勢を示しており、現在も係争中だ。ただ、仮に勝っても経済的に報われるとは限らない。交通死亡事故などと異なり、いじめ事件は高額な賠償金を認められにくいからだ。
2011年に滋賀・大津市立中で起きたいじめ自殺の訴訟。被害生徒の両親は加害者らに計約7700万円を請求したが、最高裁の判決で確定したのは約400万円だった。殺人などの犯罪遺族には公的な給付金制度があり、弁護士による支援制度の創設も国会で議論されている。一方、いじめ被害は対象外だ。
さおりさんはこう語る。「訴訟の目的はお金ではなく、海星高校の態度は許されないと司法でハッキリさせること。ただ、被害者であるはずの私たちが、なぜここまで苦しまなければならないのか。いじめ自殺の遺族は社会的に孤立し、取り残されている」。
民事訴訟は終結まで年単位で時間を要する。途中で和解しなければ、最高裁までもつれ込む可能性も高い。さおりさんの苦闘は、まだまだ終わりが見えない。
海星高校はいじめ防止対策推進法に照らし、不適切とも取れる言動を繰り返してきた。同法34条は学校評価において、いじめの隠蔽を認めない。文科省策定の「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」でも、自殺の事実に関して嘘をつくと、被害者側の信頼を失いかねないと明記。「突然死」や「転校」の提案は明らかな違反だ。
8条が学校の責務と定めた、いじめの防止と早期発見への対策も不十分だった。25条には必要に応じて加害者を懲戒するとあるが、指導すらしなかった。28条は遺族への適切な情報提供を、ガイドラインはJSCへの給付申請の説明と手続きをそれぞれ求めるが、主体的には実施しなかった。
一方、学校側は過去の記者の取材に「遺族には誠心誠意対応してきた。第三者委の報告書はいじめ自殺の認定に至る証拠の提示や評価が不十分だ。内容を理解できないため、第三者委に説明を求めているが、拒否された」と説明している。
さおりさんは「悲しむ子供や、私たちみたいに苦労する家族を生み出したくない。海星のような学校が二度と現れないよう、いじめの法制度には罰則規定が必要だ。例えば、私学は億単位の補助金を国や自治体から受け取っている。違反時はこれをカットしてはどうか」と訴える。
集めた署名は、年内にも文部科学大臣や与野党などに提出する方針だ。
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