教育困難校に通う生徒の質が大きく変化
みなさんは、「教育困難校」という言葉を聞いたことがありますか。
さまざまな背景や問題を抱えている子どもが通っており、生徒の学力の低さや、授業態度などの問題行動が原因で、教育活動が成立しない学校のことを指します。
「底辺校」と揶揄されることもある、こうした環境は、非行や校内暴力などが蔓延しているイメージがつきまといます。
しかし、偏差値40以下の私立高校教員として30年以上のキャリアがある鈴木先生(仮名)にお話を伺ってみると、過去と現在では、通っている生徒の質が大きく変わっていることがわかります。
教育困難校に関わる教員や、卒業生に話を聞く本連載の初回は、鈴木先生の高校の1事例を紹介したいと思います。
「今(鈴木先生の)高校に通っている生徒たちには、飢餓感がない」
開口一番、鈴木先生はそう口にしました。
「昔を振り返ると、私が勤める高校は地域の”底辺校”と揶揄されて、生徒や親自身も、将来を悲観し、焦っていました。
『このままだったら、自分(生徒)はちゃらんぽらんな人生を送ることになるかもしれない。食いっぱぐれてしまうかもしれない。そうならないように、頑張らなければならない』と。
つまり、何かしらの努力をする、気力がある生徒たちが多かったのです。そういう生徒たちに対する指導は、まだやりやすかったのですが、最近ではまったく状況が異なります。
『自分は、このままでいい』と考えてしまっていて、何かをやろうとする意欲が低下しているのです」
「今と昔で、生徒の心持ちは大きく変わってしまった」と、鈴木先生は嘆きます。
「学校の雰囲気も含めて、全然(質が)違っていますね。昔は、ヤンキーや不良と言われるようなグレた生徒が多くて、こちらの言うことに対しても、『うるせえ!』と言って反発してきました。私自身も、よく生徒から手を出されたものです。
一方で、今は、とてもおとなしいのです。それも悪い意味で。こちらの言うことに対して反応がなく、『このままでいい』と考えてしまっている生徒が多いのです。昔はみな、自分の人生に危機感を持っていました」
昔の生徒を「血気盛んだった」と語る先生は、さらに若き日々の出来事を思い出しながら、懐かしそうに語ってくれました。
昔は「ここに居続けたくない」意識があった
「わかりやすい例を言うと、かつて私が働く学校の生徒たちは、男子生徒も女子生徒もみんな『こんな底辺高校のバカとは付き合いたくない』と口をそろえて言っていました。それを聞いて私は『お前だってこの高校の生徒じゃないか、どの口が言ってるんだよ!』と笑ったものです。
それは裏を返せば、生徒がみんな『こんなところには、居続けてはいけない』と考えていたということですよね。
やっぱり、『このままじゃいけない』という感覚があって、どこかに飢餓感があった。
だから私自身も『じゃあ、そのためにもしっかり勉強しようぜ!』と声をかけることができていたんです。生徒の中には、頑張って勉強して、ちゃんとした大学に合格した子もいました。でも、今はそんなことはないですね」
過去と現在で生徒の質に劇的な変化がもたらされた背景や要因としては、何が考えられるのでしょうか。
「生徒というより親の問題でしょうね。私の学校は、以前よりも圧倒的に非課税世帯が増えました。生活保護で暮らしている世帯の生徒も多いです」と鈴木先生は語ります。
「私の学校は私立ですが、そういう世帯は学校に払うお金はほぼ0円で、国が支援しています。そうなるともう、私立とは言っても、税金で動いてる組織だから、公立高校に近くなってきてしまっているのが実情です」。親の苦しい状況を見て、頑張っても報われない、と感じる生徒も多いようです。
学校を辞めることに何の感情もない
「今は学校を辞めることになっても、何の感情も抱かない生徒が多いんです。昔は、どんなに成績が低い子でも、『次の試験が赤点だったら、ヤバいんですよ! 俺、ここでもダメだったら、もう行くとこ(学校)ないんですよ! どうすればいいですか先生!』と言ってきて、生徒なりに自分の人生を考えているんだと感じたものです。
危機感を持って火がついた生徒なら、いくらでも指導のやりようがあった。でも今は、こちらが『このままだとヤバいぞ!』と言っても、生徒からは『はあ、そうですか』という反応をされます。まるで他人事。自分の人生のことではないかのような反応なんです」
現在の生徒について「自分の人生を生きているという感覚が薄い」と語る鈴木先生。
そうした生徒たちは、学校を辞めてしまうことにも、あまりためらいがないようです。さらには、「当たり前のようにとんでもない言葉を使うようになった」と鈴木先生は語ります。
「(最近の生徒は)『死ぬからいい』って言うんですよ。『お前、このままでどうするんだ?』と言うと、『もしどうしようもなくなったら、死ねばいいんじゃないですか?』なんて大真面目に私たちに言ってくるんです。
それも複数人。簡単にそんなことを言うんじゃない、と思うんですがね。でも、死ぬことも生きることも、彼ら・彼女たちにとってはそれくらい、実感の薄いことになってしまっているのかな、と思います。本当にやり切れないですね」
生まれたときからゲームやインターネットが普及し、「親ガチャ」と呼ばれるような、人生をゲームとして捉える言葉も流行し、「人生をリセットする」感覚がある世代だからこそ、自身の人生を生きている実感が薄れているのかもしれない、と取材を通じて実感しました。
次回の連載では、引き続き鈴木先生に、生徒の変化に大きく関わる親側の変化について、深く掘り下げて聞いていきます。
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