(写真:dejavu/PIXTA)醤油、みりん、酒、味噌、酢など、日本で発酵食品が多く使われているように、世界各国にも発酵食品は多くあります。例えば、フランス料理にはワインが欠かせませんし、ドレッシングにはバルサミコ酢が入っています。また、付け合わせのパン自体も発酵食品です。中華では豆板醤、甜麺醤、XO醤などの調味料の他、紹興酒や白酒などのお酒、ザーサイ、また、エスニック料理ではニョクマムやナンプラーなどが発酵食品です。今世界で注目されている発酵の、日本と世界の考え方の違いなど、食品としての面以外について、室町時代から600年続く種麹メーカーの第29代当主であり『ビジネスエリートが知っている 教養としての発酵』の著者である村井裕一郎氏が解説します。

日本の発酵と西洋の発酵

味噌、醤油、清酒など、多くの日本の発酵食品は、麹菌、酵母、乳酸菌の3種類の微生物の相互作用によって行われます(この仕組みを専門用語で並行複発酵といいます)。そして、醸造家は、複数の微生物が働きやすい環境を整えていくところに特色があります。

それに対して、ワイン、ビール、パン、ヨーグルト、バター、チーズなど、多くの西洋の発酵は、酵母、あるいは乳酸菌などの単一の微生物による発酵です(これを単発酵、あるいは単行複発酵といいます)。そのため、酵母や乳酸菌という単一の微生物をどうコントロールするかという点に焦点があり、微生物間の関係性という概念は強くありません。

これを、少し概念的な観点からも見てみましょう。

リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』(ダイヤモンド社)の訳者・村本由紀子さんの要約によると、「東洋人のものの見方や考え方は『包括的』であり、西洋人のそれは『分析的』である」としています。

そして、「包括的思考とは、人や物といった対象を認識し理解するに際して、その対象を取り巻く『場』全体に注意を払い、対象と様々な場の要素との関係を重視する考え方」とし、「分析的思考とは、何よりも対象そのものの属性に注意を向け、カテゴリーに分類することによって、対象を理解しようとする考え方」としています。

つまり、書籍のタイトルの通り、東洋人は「森全体を見渡す」思考、西洋人は「大木を見つめる」思考の様式を持っているということです。

この思考は、「発酵」にもつながっています。先ほど、日本の発酵は複数の微生物の相互作用と説明しました。具体的には、麹菌が酵素を生産し、その酵素で原料が分解され、分解された原料を乳酸菌が食べることで乳酸菌が産出され、産出された乳酸によって酵母が活躍できる環境が整い、酵母の活動によってアルコールや香りの成分が産出されます。

いわば、醸造容器の中に擬似的な生態系・エコシステムをつくり上げる発想法です。そのような、それぞれの「微生物の関係性に注目した発酵の形式」は、まさに、東洋人の「森全体を見渡す」思考にフィットします。

対して、発酵に関与する微生物が1種類だけ、例えば、酵母の活動に注目して、いかに酵母を増殖させていくかに注目していく西洋の発酵の思考は、「大木を見つめる」思考法と言えます。

他の日本の文化と「発酵」の共通点

さて、ここで、いくつかの他の日本文化と「発酵」の共通点を見ていきましょう。

「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」阿倍仲麻呂

国語の教科書の常連であり、小倉百人一首にも採られている有名な短歌です。この短歌と発酵の共通点は何だと思いますか。それは、制限の中に、小さな宇宙や世界を再現しようとしていることです。

日本の「発酵」は、複数の微生物を用いて調和を図るというものでした。つまり、「発酵」というタンクの中に、複数の微生物を投入し、そこに小さな生態系(エコシステム)をつくり上げるという発想です。

短歌も、31文字という制限の中に時間や空間の広がりを詰め込みます。阿倍仲麻呂が、遠い異国の中国にて月を見て、故郷の三笠の山を思い浮かべて詠んだ歌です。この31文字の中に、中国と日本、そして月という空間的な広大さや、遠い幼少期の思い出と今の自分という時間的な広がりを見事に詰め込んでいます。

このように、制限の中に小さな自然を再現し広がりを感じさせるという手法は、日本芸術が得意とするところです。

盆栽や箱庭なども、小さな鉢や庭という空間のなかに、自然を再現し、そこから雄大な広がりを感じさせる芸術です。茶室も限られた狭い空間のなかに、軸や花、あるいは茶道具や茶菓子などによって、その日に表現したい世界観をグッと濃縮させます。その世界に、招待する側である亭主や、招待される客人も取り込まれ、すべてが調和した、時間、空間が完成します。「複数の要素の関係に着目する」。これは、日本文化を理解していくときに、軸になるコンセプトです。

発酵」と組織論、発酵は環境を整えること

この「複数の要素の関係に着目する」日本の発酵の概念を、組織論の視点から眺めてみましょう。

以前、懇意の味噌メーカーの方が、「人間は、麹と、水と、塩を混ぜることしかできない、混ぜたものを味噌に変えるのは微生物しかできない」とおっしゃっていました。多くの醸造メーカーの方は、「微生物が活動しやすい環境を整える」という表現をします。

私も、この思いに共感します。私も代々「麹菌の声を聴け」と言われてきました。

麹菌は暑いとも寒いとも声を出して言わない。しかし、麹菌をよく観察すること、時には実際に触ってみる作業を通じて、麹菌が暑いと思っていないか、あるいは、寒いと思っていないか、ジメジメしすぎだと思っていないか、乾燥しすぎだと思っていないか、そんな声なき声に耳を傾けながら、麹室と呼ばれる、麹がある部屋の温度と湿度をコントロールして環境を整えてあげる。これが、人間が「発酵」においてできることです。後は「これだけ環境を整えたのだから」と、微生物たちを信じてその活動に任せるしかありません。

人間に発酵食品はつくれないのです。

組織マネジメントにも通じる考え方

さて、私はこの「環境を整える」という感覚は、組織マネジメントにも通じると考えています。リーダーである自分にできないことを、プレイヤーたちにやってもらう、その成果を信じて待つ、という感覚は、発酵食品づくりで養える感覚だと思います。

麹菌や酵母、乳酸菌などの微生物たちは、「自分たちが味噌をつくろう」と思って活動しているわけではありません。それぞれの微生物たちは、自分たちが勝手に活動していて、その「勝手な活動の結果の集合」として生まれたものが、結果として人間にとっては発酵食品になっているわけです。

麹菌が自分たちの活動の結果、体外に出した酵素や、酵母が生産したアルコール、乳酸菌が体外に排出した乳酸などの各種の物質を、人間が勝手に利用しているわけです。

麹菌、酵母、乳酸菌など複数の微生物が、それぞれは勝手気ままに活動しているのだけれど、その活動の組み合わせが、実は、自然と環境のコントロールになっていたり、それぞれに栄養を補給する関係になっていたりと、まるで、チームワークがそこにあらかじめ存在していたかのような動きをします。これが、日本の発酵食品づくりの魅力です。

この動きは、チームマネジメントとしても大いに学ぶところがあります。

『ビジネスエリートが知っている 教養としての発酵』(あさ出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

あくまで個々の構成員は自分のために動くのですが、それを足し合わせることによって、チームにとって望ましい結果が自然と生まれる、というのは、多様性の時代に相応しいマネジメント方法ではないでしょうか。

そう、言うなれば、命令で動かすのではなく、環境を整えて動いてもらうマネジメントスタイルです。

個々のメンバーに対して、上意下達で「この目的のために、あれをしなさい、これをしなさい」と直接命令をして、それが組織の隅々まで伝令し、成果に向けて組織を動かしていくマネジメントがあるとしたら、発酵のマネジメントは、「個人個人の自由な行動を、調和・統合することによって、チームの成果につなげる」タイプのマネジメントと言えます。

「自分にできないことを信じて任せる」

VUCAと呼ばれる答えのない不確実な時代の中で、それぞれに個性のある多様な個人の集団を率いなければいけない現代のリーダーは、自分が精通していない分野、自分ができない分野の人材も活躍させなければいけません。ひとりの人間がすべての分野に精通することは無理です。すなわち、「名プレイヤー=名監督」という図式は成り立ちません。自分にできないことは、誰かに任せるしかありません。

組織の中で何でも自分たちで解決するのではなく、組織の外の力も借りて任せて成果を生み出していく時代において、まず、マネジメントの第一歩目、「自分にできないことを信じて任せる」という感覚を身につけるのは、できあがりを微生物に任せるしかない、発酵食品からも養える感覚です。

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