東大寺(奈良市)は19日、大仏殿北側の僧坊跡の発掘現場を報道陣に公開した。僧坊は奈良時代に建立されてから3回にわたり火災に見舞われ、2度建て直されていたことが記録から分かっているが、創建時から礎石の位置は変わらず、繰り返し同じ位置に建てられたとみられることが分かった。
僧坊は講堂を東西と北の3面から囲んだ構造で、千人以上の僧侶が住んでいたとされる。記録によると、917年、1180年(南都焼き打ち)の火災後は再建されたが、1508年の火災後には再建されなかった。
今回は僧坊の東側を調査し、南北方向、東西方向に整然と並んだ12個の礎石を確認。柱を安定させる直径約90センチの柱座を持つ礎石も見つかった。柱の直径は約60センチと推定でき、他寺の僧坊に比べ、柱も礎石も大きいという。火災で赤く変色した土なども確認された。
東大寺は境内整備事業を進めており、調査は奈良文化財研究所、県立橿原考古学研究所と共同で実施。川による浸食で礎石が露出するのを防ぐ目的の護岸工事に先立ち発掘していた。
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