「今太閤」田中角栄、首相に就任

1972(昭和47)年 田中角栄(1918~93)が当時としては史上最年少の54歳で首相に就任。札束が乱れ飛んだ自民党総裁選では福田赳夫氏ら3候補を破って総裁に。首相就任時は「今太閤」ともてはやされ、政権に就く直前に発刊の著書『日本列島改造論』は経済成長の夢を与えた。その一方で壮大な開発構想が土地投機をあおり、地価が急騰。73年10月の第四次中東戦争で第一次石油危機が起こり、物不足や狂乱物価をもたらした。74年に金脈問題を追及され、年末に辞任を余儀なくされた。在任886日。

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その他の出来事

華族令が発布:公侯伯子男の爵位規定

1884(明治17)年 華族令が公布され公・侯・伯・子・男の5段階の爵位の特権階級として規定された。版籍奉還と合わせて69年、公家142家、諸侯(藩主)270家が廃され華族となったほか、明治維新や、その後国家に勲功のあった政治家、軍人らが、華族令公布に合わせて新たに華族に加えられた。男系子孫の世襲。大日本帝国憲法の発布により、30歳以上の公・侯爵は終身、伯・子・男爵は互選により任期7年の貴族院議員となる。

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長崎造船所、三菱が借り受け

1884(明治17)年 「郵便汽船三菱会社」が工部省から借り受け長崎造船局を長崎造船所と改称し、事業を開始した。当初は海運部門が運航する鉄製船の修繕が主要業務だったが、建造にも乗り出し、 87年に最初の鉄船・夕顔丸が竣工。同年には、同造船所の払い下げを受け、名実ともに自前の造船所とした。後に三菱重工業の主力造船所となる。

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日本初の乳酸菌飲料「カルピス」誕生

1919(大正8)年 日本初の乳酸菌飲料「カルピス」が発売された。水で2.5~5倍程度に薄めて飲む。濃縮原液は常温保存しても腐敗しにくい性質があり、戦前・戦中は日本軍の補給品としても使われた。戦後はお中元用商品の定番として人気が高かった。1980年代後半には薄める手間が敬遠されるようになったが、91年に、そのまま飲める「カルピスウォーター」が発売され、人気が復活した。

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