10月26日、朝日地球会議のセッション「『はて?』から始める 私たちと世界はどう変われるか」に登壇する政治学者の重田園江さん。フランス現代思想を中心に、権力や統治のあり方など政治思想史を研究する。重田さんがこのごろ抱いている「はて?」な思いとは――。
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最近ふと気になりはじめたのは、「主権者教育」という言葉です。
子どもや若者に政治への関わり方を教えるものとして期待されていたはずなのに、このところすっかり下火になってしまった印象があります。主権者教育はどこに行ってしまったのでしょうか。
この言葉が盛り上がりを見せたのは、選挙権年齢が満18歳以上に引き下げられた2016年。6月の改正公職選挙法の施行に合わせ、文部科学省の「主権者教育の推進に関する検討チーム」は最終まとめを公表しました。主権者教育の目的は「政治の仕組みについて必要な知識を習得させる」とともに、「地域の課題解決を主体的に担う力を身につけさせること」などです。郷土愛や公的な奉仕という文脈は、当時の政権が力を入れていた公民教育と重なる部分もあったのかもしれません。
8年の歳月が過ぎて下火になったのは、主権者教育がすでに若者に行き渡ったからではない。若者の投票率の低下といった、数字や現象ばかりに焦点が当たってしまったからではないでしょうか。投票率を上げるのは主権者教育の結果であって、目的ではないはずです。投票率が上がれば政治意識が高まるわけではなく、政治意識が高くなってはじめて、継続して投票率が高くなるのです。
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主権を行使するために
主権者教育という前に、主権者であることはどういうことなのか、若者だけでなく、大人ももう一度考えてみることが大事でしょう。
そもそも「主権」とは何でしょうか。
近代の主権論は、16世紀のヨーロッパで定義されたものです。主権とは国家の力、能力、権力そのものであり、並び立つものがない力。つまり、当時の国王が持った「至高の権力」を示していました。これは近代国家に割り当てられた絶対的な権力です。
その後、主権はだれにあるのかが問題になってきます。「人民主権」や「国民主権」という言葉が生まれ、国王のようなひとりの超越者から、そこに生きている人々が主権を取り戻そうとする動きこそが革命でした。
国民主権という考えは、自分たちが主権を持っているのだから、誰かにその力を奪われないようにすること、誰かに横暴に支配させないという主張とつながっています。
また、主権はその「行使」とセットになっています。主権を行使するとは、主権者の行為とつながっています。つまり、アクションにつながるということです。そうでないと、主権は抽象的な概念になってしまい、どこにあるのかもわからなくなってしまいます。
投票も主権を行使する行動のひとつです。でも投票だけが主権の行使ではありません。
近づく米大統領選を見ても、支持者らは選挙集会、街頭キャンペーンなどさまざまな活動や運動に参加しています。選挙一つとっても投票する〝だけ〟ではないのです。衆院選が近づき、では日本は、と考えさせられます。
NHKの連続テレビ小説「虎に翼」は、主権者教育のドラマとしても見ることができます。個人の自立や職業選択の自由、法の下の平等など、日本の憲法体制が何を保障する狙いを持っていたのかを実際の事例で説明してくれていました。戦後史における男女の法的な地位や、国家による補償が法廷でどのように議論されていたのかを知るきっかけに満ちたドラマでした。
「国家は間違う」という前提
そもそも日本国憲法には、「国家が個人の権利を侵害する可能性がある」という前提があります。戦争の後につくられた憲法は、「国家は間違いを犯すかもしれない」という前提でつくられている。憲法というのは国制=constitutionを定めたものですから、それがどんな構えでつくられているかは非常に重要なのです。
たとえば、「防犯カメラが街に増えると安心だ」という人が多い。自らが犯罪の「被害者」になることしか想定せず、防犯カメラによって「加害者」が捕まることを願う。自分が防犯カメラに「追われる立場」になることは想像もしない。学生たちに「悪いことをした人かどうかは、あなたが決めるわけではなくて、国が決めるんだよ」と言っても、個人が理不尽な理由で国家や社会の「敵」と認定され、防犯カメラに追われるかもしれないとは考えない。
日本国憲法の下では、市民が国家に抑圧されないために、権利を主張したり、国家の活動に限定を付したりできるようになっている。もちろん「公共の福祉」のもと、個人の財産なり自由を制限する可能性はありますが、国民が国家に歯止めをかけ、補償を求める根拠となるのが憲法です(「虎に翼」でも描かれた原爆裁判は、実は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」という憲法第二九条三項をめぐっての訴訟でした)。
憲法の基本にあるのは、国民主権と基本的人権の尊重であることを、「虎に翼」はくり返し描き出しています。
今後の主権者教育を考える場合にも、個人の権利や人権を国家は守ってくれているのかという視点が大事でしょう。(聞き手・構成 菅光)
《略歴》おもだ・そのえ 明治大教授。専門は政治思想史・現代思想。著書に『ミシェル・フーコー 近代を裏から読む』『ホモ・エコノミクス 「利己的人間」の思想史』『真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争』など。朝日新聞オピニオン面「政治季評」を担当。
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