Z世代に影響を与えているYouTuberの論理について、その問題点を浮き彫りにする(写真:jessie/PIXTA)

若者は単純に経験に乏しい。だから、無知ゆえの無礼を働くこともある。それは仕方ない。しかしそれでも、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが、若者と接する場面では多々起きるはずだ。会社で若手社員と接していて気疲れしている方も少なくないだろう。

企業組織を研究する東京大学の舟津昌平氏は、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。

本記事では、舟津氏の著書『Z世代化する社会』より一部抜粋・再構成のうえ、Z世代に影響を与えているYouTuberの特に倫理の論理について、その問題点を浮き彫りにする。

インフルエンサー、そしてアンチ

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「推し」という概念は、現代にすっかり定着した感がある。そして現代の若者――Z世代――にとって「推し」の対象はアイドルだけではない。昨今話題にのぼるYouTuberやインフルエンサーについても、誰かしら「推し」がいるのがふつうになってきている。

そしてZ世代は、YouTuberやインフルエンサーから、たくさんのことを学んでいる。勉学に限っても○○大学と名乗るチャンネルや、勉強法や資格試験の対策動画も充実していて、もはやYoutuberは一大教育コンテンツである。若者にとって大学の先生よりもよっぽどわかりやすくて、信頼できる身近な存在なのだろうとも思う。

さらにZ世代に人気のYoutuberやインフルエンサーは、われわれからは「見えない」存在だ。誰々っていうYouTuberが流行っていると聞いても、なかなか目にする機会がない。

「パーソナルレコメンデーション」が高度化し、好みや年齢が異なるわれわれのYouTubeにはレコメンドされないからだ。レコメンデーションによって、Z世代とそれ以外とでは、意外なほどに情報の分断が起きている。

さて、YouTuberやインフルエンサーには共通の符号がある。「アンチ」である。

たとえば、インフルエンサーが何か悪いことをするとしよう。不倫したとか、コロナ禍なのに飲み歩いたとか、誰かの悪口を言ったとか……そんなことどうでもええやん、てなことでも、すぐに炎上する。現代の有名税である(とんでもない重税だ)。

若者のSNS利用において、もはやツイッター(現X)は相対的に人気の高いSNSではない。ツイッターを眺めていると戦慄する。どうしてここまで酷いことを関係ない立場から他者に言えるのだろうというコメントが並ぶ。そりゃ若者がツイッターから離れるわけだ。有名人に対して否定的な立場をとる人々、これを総称してアンチと呼ぶ。

アンチ巨人という(古い)言葉があるように、アンチ自体は新しくも珍しくもない。ただ現代では、アンチ行為が可視化され世界に公開されるので悪目立ちしやすい。そして、現代のインフルエンサーは新しい概念――言うなれば「アンチ─アンチ」――を生み出したのだ。

「アンチ─アンチ」というマーケティング手法

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炎上した(しかけている)インフルエンサーは、高確率でこういう投稿をしている。

「アンチが言いたい放題してますけど、私は気にしてません。私は自分を応援してくれる人がいればいいし、それで幸せなので」

で、ファンはこうリプライする。

「ですよね。アンチは気にしないでくださいね」
「アンチがいくらいたとしても、私はあなたの味方です」

自分を攻撃する人々をアンチと見なし、逆にアンチをアンチすることで、「仲間」の結束を高めるのである。

2023年11月、とあるインフルエンサーがニュースになった。界隈では有名な振付師の方らしい。ダンスと相性抜群のTikTokで人気。で、その方が酔っ払ってコンビニに入って、思わず踊ってしまって、で、その動画を公開したのだという(書いてて意味わからないけど、こうした些細な行為の一つ一つが世界に公開され、そしてその行為への評価すら「一概に決めつけてはいけない」と相対化するのが、現代という時代である)。

ファンは、推しの投稿にときめく。「酔っててもめっちゃかっこいい〜」「カッコよすぎて死にそうです。惚れてしまった」。しかし、アンチも黙っていない。「こんなところで撮ったら迷惑だよ」「コンビニで踊るのは非常識だし迷惑すぎる」。
そして、インフルエンサーの返しの一撃。

「コンビニで踊ったらアンチが沢山来ました」

と、ホントに投稿したらしい。

「アンチ─アンチ」がもたらすビジネス上の利益

コンビニで踊るのは非常識で迷惑だよ、そんなのネットで公開するなよ、というコメントは、インフルエンサーやファン相手には必ずしも常識的なリアクションだとみなしてはもらえない。現代における価値観の多様化と相対主義の跋扈は、もはやそんな常識など解体してしまっているのだ。不快な非難はぜんぶアンチ。

なぜ、そうなったのだろう。言ってしまえば、インフルエンサーはビジネスでやってて金目当て、だからだ。「客の方だけ向いておけばいい、金を落とさない相手は無視してよい」というビジネスの論理を純化させたインフルエンサーにとって、自分の味方になるかどうかで、とるべき態度がすべて決まっているのだ。

インフルエンサーはファンありきのビジネスをしている。フォロワー数や再生数を稼いで広告収入を得て、直接的にグッズなど商品を買ってくれることもある。だから、とりあえず多くの人に知ってもらって、有名にならないといけない。でも、有名になるとアンチがつきやすい。すべての行動は見張られてて、少しでも隙を見せたらアンチが殴り掛かってくる。だから、そのアンチにアンチしないといけなくなる。

アンチ─アンチすると、仲間内での結束が高まる。共通の敵を見つけて、さらに自分たちの正しさを確信する。経営組織論では、これを集団の凝集性とよぶ。アンチに負けちゃいけない、もっと応援しないと。よし、応援消費だ。投げ銭しよう。アンチ─アンチは、うまく使えば凝集性を高める材料となり、ビジネスのためにも非常に有効なのだ。

なんというか、好きで応援して、自分でお金を払ってるなら、好きなようにしたらいいとも言える。「インフルエンサー」と「客」として結束している人々に対して、外から何かモノ申すのは、きわめて困難なことだ。しかし、インフルエンサーにのめりこむZ世代にどうしても言っておくべきことがある。

こんな論理は決して「リアル」では通用しない、ということだ。

現実世界の「アンチ─アンチ」

たとえば、職場で「あなた」を叱ってくる上司がいるとする。叱る理由も色々あるだろう。私怨とか、機嫌が悪いとか、理不尽な理由もあるかもしれない。インフルエンサー的世界観に則るなら、この上司はアンチである。アンチ─アンチして、断固として拒絶せねばならない。

でも、世の中そんな人ばっかりじゃない。別に、上司はあなたのアンチではない。ツイッターで他人を攻撃するような人は、社会のごくごく一部、よりもっと少ない超特殊事例だ。あなたに苦言を呈してくる人は、ふつうはアンチではない。

にもかかわらず、YouTuberに倫理観を教わったZ世代は、自分を傷つける人はぜんぶアンチだと思っている。で、それにはちゃんとアンチ─アンチしないといけない。だって、大事な大事な推しは、そうしているんだもん。

さすがに大げさだと感じるかもしれない。しかし実際に教育現場では、似たようなことが起きている。たとえば、授業中に私語がうるさいという苦情を受けたので学生を注意したところ、注意された側の学生から、逆にこういうクレームが入ったのだ。

「他人を気にしている暇があったら自分のことをすればいいのに。出る杭は打たれる」

「アンチが何か言ってたみたいですけど、でも、私は自分の味方が一人でもいれば、アンチは気にしません」。

なぜこんな物言いをするのか。「推し」がそう言っていたからに違いない。

苦言を呈してくる人はアンチなので、アンチにはアンチしないといけない。このあまりに単純で安易な世界観が若者に着実に浸透しつつあることを、筆者は肌身で感じているし、けっこう危惧している。大学でそうなっているのだから、そのうち職場でもそうなるだろう。つまり、会社でZ世代を注意したら、即刻アンチと認定されるのだ。そんなの正直、やってられない。でも、われわれの社会は、着実にそうなっている。

「アンチ─アンチ」は人生の指針にはなりえない

世界を推しとアンチに分断するというあまりに安直で、そして場合によっては便利な世界観は、SNS隆盛の現代においていっそう加速している。その背後において、集客によって金を生み出すという仕組み、つまりむき出しのビジネスの論理が加速装置として機能していることは見逃せない構造だといえる。

改めてビジネスの話をすると、ビジネスの世界ではセグメンテーションといって、想定する顧客の属性を細かく区切るのが当たり前である。なおセグメンテーションは、経営学の一分野であるマーケティング学で発展した知見でもある。で、そして、広告宣伝はその顧客だけを向いておけばいい。20代女性向けのサービスは、30代男性の筆者には決して刺さらないし、刺さる必要もない。

この「向いてる方と向いてない方」を分断するのが現代のビジネスの基本論理であり、この応用がアンチ─アンチなのだ。インフルエンサーは客の方だけ向いておけばよくて、アンチは無視するか攻撃し返すのが正しい。繰り返すがこれはマーケティングの有力な手法というだけであって、人生の指針として正しいかはまったく別だ。

そう言える理由はいくつかある。シンプルな理由としては、アンチ―アンチしても、われわれの(長期的な)得にはならないからだ。インフルエンサーは、アンチ認定をすることでファンを繋ぎ止め、結束を高め、収益を得る。収益のためにそうしているのだ。しかし、お金も出ない日常で他者をアンチ認定しても、われわれには一銭も入ってこない。それどころか、自らへの信頼を失って、人間関係が悪くなるだけだ。何の疑問もなく推しに従い、リアルでも「アンチ―アンチ」するZ世代は、そういったリスクをどうやら勘案できてはいないのだ。

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