東大文系クラスで唯一の女子だった
この連載の一覧はこちら今回取材した江森百花さんは、静岡県の名門校、静岡県立静岡高等学校に進学し、東大を目指したものの、願いがかなわず浪人を決意。駿台浜松校に通います。
浪人生当時、駿台浜松校の東大文系クラスには、江森さん1人しか女性がいなかったそうです。そこで得た浪人の経験は、彼女の今の活動にもつながっている、と江森さんは語ります。今回は、江森さんの過酷な浪人生活に迫っていきます。
江森さんは、静岡県の経営者家庭に生まれ育ちました。彼女が小さい頃から夫婦二人三脚で企業経営を頑張ってきた両親は、どちらも大学を出ていないため、進学に関する情報を得るのに苦労したそうです。それでも、いつも娘のためを思い、最善の策を考えていたようでした。
その一環として、江森さんの夢を後押しするために、母親が静岡大学教育学部附属静岡小・中学校の受験を勧めます。
「5歳のときに妹が生まれたのですが、未熟児ですぐに亡くなりました。そのときの女医さんがすごくよくしてくれたので、私がその姿を見て医者になりたいと言い出したそうなんです。そこで、母がいろいろと学校を調べる中で、教育環境が整った静岡大の附属がいいらしいと聞いたようです」
無事に静岡大学の附属小学校・中学校に入学した江森さんは、Z会やKUMONに通いながら、勝ち気で負けず嫌いな性格もあって、よりいっそう勉強に励んでいたそうです。
高校受験の対策は、中学校に上がってから通い始めた個人塾ですぐに開始しました。その周到な勉強姿勢もあり、地元の名門進学校である、静岡県立静岡高等学校に危なげなく合格しました。
「このころから、母親も自分も、頭の片隅に東大の理科Ⅲ類がありました。理Ⅲを目指すためには都内の高校に通ったほうがいいと思い、筑波大学附属高校や東京学芸大学附属高校も見に行ったのですが、親と相談して、大学に行くまでは地元に残るという結論に至りました。そうした経緯もあり、中3の夏に静岡高校と、その滑り止めの私立高校を志望校に決めました」
東大理ⅢでA判定も興味が変わる
静岡県有数の進学校、静岡高等学校に進学してからの江森さんは、1学年320人の中で上位20位以内の成績でした。高校に入って最初に受けた進研模試では偏差値80を超えるほどの好成績が出たようで、東大理ⅢでもA判定が出ました。
「受験科目でない科目では、赤点をとることもあったのですが、英語・国語・数学は得意でした。学校がある日も、毎日2時間は自主的に勉強を続けていました」
しかし、高校2年生になってから、彼女の関心が移り始めます。
「高1の9月にあった文・理選択では、医者になりたいからという理由で、何も考えずに理系を選びました。でも、高2の中盤から、『私は本当に医者になりたいんだろうか?』と思い始めたんです。
活動的で、いろんな人と会って話すのが好きなタイプだったので、1つの場所にいるよりも、世界を飛び回ったり、毎日足を使って稼ぐ仕事のほうが向いているのかもしれないと思いました。そういう仕事ができるのは、経済学部や商学部を卒業した人たちなのかなと思い、東大の経済学部を志すようになりました」
東京大学では「進学振り分け(進振り)」と呼ばれる、1年生・2年途中までの成績をもとに、3年生から学ぶ学部を決めることができる制度があります。
経済学部に進む人の多くは、文科Ⅱ類からです。江森さんは理系コースを選んだために、理科Ⅱ類に入って、入学後も好成績をキープし、経済学部に進学しようと考えていました。
「東大の文系は社会科が2科目必要なのですが、理系クラスでは社会の授業を受けられませんでした。私自身、数学I・AとⅡ・Bが得意でしたし、物理・化学も好きだったので、高2の時点ではその戦略のほうが受験で戦えそうだと思っていたんです」
高校2年生までの模試の東大の判定も、B~A判定で安定しており、合格は射程圏内だと思えたそうです。しかし、高校3年生になった途端に模試の判定は急降下し、一気にE判定ばかりになってしまいました。
合格最低点に20点足りなかった
「高2のときまでは 英数国で模試の判定が出るのですが、高3になって数Ⅲと物理・化学が入ってきた瞬間に、がくっと判定が下がってしまいました。結局、センター試験も750/900点に終わりました。当時通っていた東進でリサーチしたところ、去年私と同じくらいのセンターの点数で東大に受かった人が2人くらいしかいなくて。
この時点である程度、受からないことを察しました。本番で点数が上振れたら、もしかしたらいけるかもしれないと思いましたが、苦手だった数Ⅲが全然解けなくて、絶対に受からないと確信し、ホテルで泣いてしまいました。泣くほど努力してないくせに、悔しさはあったんです」
結局、この年は合格最低点から20点ほど足りず、不合格になってしまいました。
この年の受験で落ちてしまった理由を、彼女は「危機感がなかったため」だと考えます。
「私は誘惑に負けやすいタイプでした。実家に自分の部屋がないので、家族の話し声が聞こえたら話に入ったり、弟の弾くピアノを教えに行ったり。母親がドラマを見てたら一緒に見てしまっていました。なまけてしまったんです。
予備校でも友達と話すのが楽しくなって、休憩時間を10分にするはずが30分になってしまったり、帰り道にスタバに寄り道したりとか……。100%本気で打ち込めていないという気持ちがあって、その状態でE判定が出てしまうのはしょうがないと、心のどこかで思っていました」
しかし、現役のときのこの悔しい経験で、「生半可な努力じゃ受かるところじゃないんだと実感した」と語る彼女は、妥協したくなかったために浪人を決意します。1浪で東大の合格を掴むにあたって、彼女は大きな決断をしました。東大の理系から、文系に志望校を変更する「文転」をしたのです。
「自分の適性を考えたときに、苦手だった数Ⅲを諦めて、社会科目と理科基礎で受けるほうが、東大合格の可能性が上がると思いました。文科Ⅱ類に受かれば、経済学部にも入りやすくなりますし。また、新しいことを学ぶほうが、1年間飽きずに学べると思ったのもありますね」
予備校で入ったクラスは女子1人
こうして彼女は駿台浜松校の東大文系クラスに入りますが、そこで驚いたことがあったようです。
「東大の文系クラスは5人しかいなかったのですが、女子は私だけでした。地方だと、浪人してまで大学を目指さない、というのはあるのだろうなと感じました」
こうした環境の中で気を引き締めた彼女は、現役のときよりも勉強時間を増やす工夫をします。
「現役のときの勉強時間は毎日10時間を目指しながらも、9時間で終わってしまっていたので、浪人のときは11時間を目指して、10時間勉強していた」と毎日コンスタントに勉強時間を確保していました。
しかし、去年まで勉強していた地理に加えて、2科目に選んだ世界史を伸ばすのには、なかなか苦労したそうです。
「化学・物理の感覚で理解さえすれば、世界史も解けるようになると思い込んで、時間を割いていませんでした。そのため夏になってもマーク模試で40点くらいでしたし、東大の冠模試ではずっと0点しか取れなくて焦りましたね。それまでは数学などの得意教科に時間を割いていたんですが、世界史に多くの時間を割くようにしました」
「数学や英語といった得意な勉強は、遊びの感覚でしたが、世界史では、ちゃんと勉強している実感が湧きました」と語った彼女。その結果、4割だったマーク模試の点数も、高い点数で安定していったようです。
とうとう東大を狙える位置まで来た江森さん。しかし、上がる成績とは裏腹に、試験が近づくにつれて不安に押しつぶされそうになったそうです。
「この年はセンター試験で800点いかなければ東大には出願しないと決めていました。でも、去年の失敗がトラウマになっていたのでセンター試験の会場に行く前には泣いてしまいました。大丈夫だと思っていた数学Ⅱ・Bではコケてしまい、ショックすぎて採点したくありませんでした。
ただ、恐る恐る採点したら、なんとか805/900点だったので東大に挑戦する決心がつきました。ちなみに、後で採点を間違えていて820/900点だったと知りました。今となっては自分の中で800点未満だったら東大を受けない、と勝手な基準を設定しなくてもよかったと思いますけどね(笑)。世界史で9割取れたのにも、救われましたね」
センターの点数を見て、東大の文科Ⅲ類に出願した江森さんは、併願で早稲田大学の政治経済学部・商学部の一般入試と、センター試験利用入試で明治大学の政治経済学部を受験します。
明治の政治経済学部の合格を掴んだ江森さんは、早稲田の政治経済学部と商学部の結果発表を迎える前に、東大の2次試験に臨みました。
「東大の試験では、どの科目に対しても『できなかった』とは思いませんでした。これで落ちていたら、これ以上の力は出せないかなという気持ちでした」
早稲田は不合格と補欠で、気持ちが焦る
こうして迫ってきた運命の東大の結果発表。早稲田大学の政治経済学部は不合格で、商学部も過去5年繰り上がりがなく、ほぼ望みがない補欠合格だったことで、とても焦っていたそうです。
「早稲田の結果を見て、東大も落ちているかもしれないと思い、死ぬ気で一橋大学の後期試験対策をしていました。東大の合格発表の日はもう、結果を見るのが怖すぎて、(合格の番号が)開示されてから1時間は見れませんでした。
『見れない、見れない』と言ってずっと泣いていたのですが、母親に『バンジージャンプは飛ぶ前がいちばん怖いんだよ、飛んだあとは意外となるようになるよ』と言われて、ようやく勇気を出して見ました。そしたら(番号が)あって……。母も父も、泣いて喜んでくれました。あの瞬間を上回る感動はいまだかつてなかったですし、今でもありません」
こうして1浪で無事東京大学文科Ⅲ類に合格した江森さん。浪人してよかったことを聞くと、「すごく大きな成功体験を得られた」、頑張れた理由を聞くと、「出会った人たちのおかげ」だと語ってくれました。
「志望大学に行けたことで、今も自己肯定感が高い状態を保てていて、いい経験だったなと思います。東大の文系コース志望の子たちはとても優秀で、『これくらいできないと受からないんだ』という身近な指標があったのがとても大きかったと思います。彼らの生活リズムも、模試の後に何をしているかも、普段の勉強内容も、すべて共有できる場所があったことが、すごく幸運でした」
「自分の意思で思い描いた大学に行けたおかげで、自己肯定感が高い状態を保てています」と言うように、彼女は自身の選択に満足しています。
一方で、東大に進学したあとはその環境で大きなカルチャーショックも受けたようでした。
「進学意識が私の地元と全然違うんです。私が卒業した静岡高校と比較して偏差値がそんなに変わらない高校でも、東京だったら『とりあえず東大』という女子学生がいっぱいいるのです。駿台浜松校のクラスでは、身近な人が同じ志望校を目指していることがとても大事だと思ったのですが、東大に入ってそれをより強く感じました」
地方女子の進学の選択肢を広げたい
現在江森さんは、東京大学文学部の社会心理学専修の4年生として学校に通う傍ら、自身の問題意識から地方女子の進学の選択肢を広げるために創設した#YourChoiceProjectの代表として日々精力的に活動をしています。
#YourChoiceProjectのメンバーと江森さん(写真:江森さん提供)地方の進路選択上のジェンダーギャップを解消する取り組みを行う特定非営利活動法人としての活動は、令和5年度には「地方女子の大学進学を取り巻く社会課題の解決に向けた取り組み」が評価されて、東京大学総長賞も受賞しました。
現在の活動を彼女は、こう振り返ります。
「2年生までの教養学部で幅広い学問分野を学べたことで、私はマクロの世界を研究する経済学部よりも、個人の意思決定といったミクロの世界のほうに興味があると気づいたんです。それで、実験ベースで行動の偏りを明らかにする勉強がしたいと思い文学部の社会心理学専修に進みました。
その教養学部のときに受けた瀬地山角先生のジェンダー論の授業も現在の活動につながっています」
地方の人が持つ浪人のイメージを変えたい
「そこで地方の女子高校生が全然浪人しないというデータを見せていただいたことで、今までの自分たちのバックグラウンドを生かして地方の受験生の進路を応援できる活動ができるのではないかと思い、この活動を始めました。
親御さんの中には浪人をすごく反対する方もいて、その中で受験勉強をしている地方の受験生もたくさんいると思います。でも、この団体で、浪人したいけど一歩踏み出せない、もっと浪人経験者の話を聞いて情報を集めたいという高校生の皆さんをサポートをすることで、地方の方が持つ浪人のイメージも変えていければと思います」
「誰もが生まれた地域やジェンダーにかかわらず、自分の意思で自分の進路を決められる社会を目指したい」と語る精力的な彼女の瞳からは、自身が地方出身の女子でありながら浪人し、東大に入った実体験から抱いた熱意がみなぎっていました。
江森さんの浪人生活の教訓:生まれた場所や性別に関わらず、誰でも目標を目指して叶えられる可能性がある鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。