果敢にファーストダウンを狙ったタゴバイロアはこの後、脳震盪で倒れた AP/AFLO

<元NFL選手の3分の1が脳の慢性疾患を抱えている──検査の進歩で脳震盪の後遺症から選手を救えるかもしれない>

プロのスポーツ選手は現実の世界に生きるスーパーヒーローかもしれないが、不死身ではない。それを象徴したのが、9月12日に行われたNFL(全米プロフットボールリーグ)の試合で、マイアミ・ドルフィンズのスター選手、トゥア・タゴバイロア(Tua Tagovailoa)が倒れた場面だ。

バッファロー・ビルズに31対10とリードされた第3クオーター、クオーターバック(QB)のタゴバイロアはファーストダウンを狙って走った。そしてビルズのディフェンダーに向かって頭を下げて突っ込み、そのまま倒れた。NFLでプレーを始めて3度目の脳震盪(のうしんとう)だった。

脳震盪で倒れたトゥア・タゴバイロア選手



先ごろ発表されたハーバード大学の研究によれば、元NFL選手の3人に1人が「自分は繰り返し頭部を負傷したことに関連する脳の慢性疾患を抱えている」と考えているという。ショッキングな数字だが、この種の脳の疾患を確定診断する方法は、死後の解剖以外にないのが現状だ。

だが将来、血液検査がそうした目にも見えなければCTスキャンにも映らない脳の損傷を診断する一助となるかもしれない。そうすれば、脳の傷が癒えないうちに選手が試合に復帰することも防げるかもしれない。

タゴバイロアがやったことは自らの体を犠牲にしてチームのために戦うという、QBに期待される行動だった。だが、そうした自己犠牲の考え方はもう古い。話が脳への打撃となれば、なおさらだ。

タゴバイロアの負傷に対応するスタッフ。NFLの試合では専門のトレーナーが事故を監視している MEGAN BRIGGS/GETTY IMAGES

これはNFLだけの話ではない。例えばNHL(北米プロアイスホッケーリーグ)は、相手チームの選手に後ろから体当たりする行為や頭部への打撃を根絶しようとしている。

サッカー界でも、頭部のけがが疑われる選手に対して「脳震盪による選手交代」が通常の交代枠とは別に認められるようになった。子供たちのヘディングを制限する動きも広がっている。

脳震盪を含む外傷性脳損傷は、スポーツの世界でもそれ以外の場所でも珍しくない。アメリカでは、外傷性脳損傷が原因の救急搬送が年に480万件に上る。


適切な治療と支援がないと、脳震盪は記憶障害や人格変容、睡眠障害、心の問題、認知症などの神経変性疾患といった長期的な影響を残す可能性がある。頭部への衝撃が繰り返される場合は、なおさらだ。

問題は、プロの選手だけにとどまらない。ダートマス大学のアメフトチームで活躍していたパトリック・リシャ(Patrick Risha)がいい例だ。「私たち家族は2014年、パトリックを自殺で失った」と語るのは、母でパトリック・リシャCTE啓発財団(Patrick Risha CTE Awareness Foundation)の代表を務めるカレン・ジーゲルだ。

「当時は自分たちが抱えている問題の正体が分からなかった。息子には鬱やADHD(注意欠陥・多動性障害)、依存の問題、不安、睡眠障害の明らかな症状があったが、スポーツをやっていたせいだとは思いもしなかった。CTE(慢性外傷性脳症)のことも、脳を調べたほうがいいと言われて初めて知った」

青春を懸けたスポーツが命取りになったパトリック・リシャ(高校時代の写真) COURTESY OF KAREN ZEGEL

アメリカを代表する医療機関であるメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)の定義によれば、CTEは「繰り返し受けた頭部外傷が原因となった可能性の高い脳障害で、脳の神経細胞の死(変性)を引き起こす。確定診断の方法は死後の解剖のみ」という疾患だ。

死後に判明するケースが相次ぐ

脳が損傷を受けるのはプロかアマかを問わない。NFLの偉大なランニングバック(RB)だったトニー・ドーセット(Tony Dorsett)はかつて、記憶障害や感情の爆発といった問題を抱えていて、これらはCTEの症状かもしれないと語ったことがある。


11年の夏には、NHLでエンフォーサー(乱闘で活躍する選手)として知られていたデレク・ブーガード(Derek Boogaard)ら3人が相次いで急死し、いずれもCTEだったことが判明した。20年に死亡した米サッカー選手のスコット・バーミリオン(Scott Vermillion)も、死後にCTEと診断された。

「パトリックが脳震盪の診断を受けたことはなかった」と、ジーゲルは言う。「アメフトや脳震盪に関して、弱音を吐いたこともない。でも結局は生き続けられないほど、苦しみに耐えられないほどに脳を破壊する病気を背負い込んでしまった」

「人類には3つのフロンティアが残されていると思う」と、リシャの義父ダグ・ジーゲルは本誌に語った。「深海と深宇宙、そして人間の脳だ」

より簡便で正確な検査技術の開発が急ピッチで進む AP/AFLO

だが状況は変わりつつあるのかもしれない。米食品医薬品局は18年2月、外傷性脳損傷を診断するアメリカ初の血液検査を認可した。今年4月にアボット・ラボラトリーズが発表した持ち運び可能な機器なら、患者のベッドの脇に運んで使用できる。

現在は研修を受けた医療従事者が医療機関で使うことしかできない。だがアボットの広報担当者によれば、同社はこの検査機器を「必要などんな場所でも、自動車事故や衝突事故の現場やスポーツイベントでも」使える未来を思い描いているという。


この検査の仕組みについて、イスラエルのシェバ医療センターの神経学者で臨床研究責任者のラケル・ガードナーはこう説明する。

「この技術の柱となっているのは2つのタンパク質だ。いずれも脳の損傷もしくは中枢神経系の損傷を示し、血液検査で測定できる。(タンパク質の)1つは神経の損傷に関係するマーカーで、もう1つは脳細胞を支える神経膠(しんけいこう)の損傷を示している」

クリアすべき課題は山積み

ガードナーの言う2種のタンパク質とは、脱ユビキチン化酵素の1種とグリア線維性酸性タンパク質だ。

「外傷性の脳損傷を受けて脳内で出血が起きると、この2種のタンパク質の血中濃度が上昇する」と、ガードナーは言う。「この2種のバイオマーカーは1つの検査で測定でき、負傷の直後と24時間後に脳の外傷を評価できる」

今年のプレシーズンの脳震盪件数は統計開始以降で最も少なく、「本質的な変化が起きている」と語るNFLのシルズ AP/AFLO

承認済みのこの血液検査は、今のところ救急病棟などでCTスキャンの必要性を評価するために使用されているだけだが、NFLはこの検査に注目している。

「当然ながら私たちは極めて注意深く、あらゆる進展を見守っている。どうすればより的確に脳震盪を特定し診断してケアできるか、常に注視している」と、NFLの最高医学責任者(CMO)を務めるアレン・シルズは本誌に語った。


とはいえ、バイオマーカーを使った検査を脳震盪の診断に使うには、まだクリアしなければならない課題があると、シルズは言う。2種のバイオマーカーは「脳震盪の指標ではない。そこはいささか誤解されているようだが、この2つは脳内出血の有無を示す指標だ」。

シルズによれば、この検査は外傷性脳損傷の診断には役立つだろうが、「スポーツによる脳震盪の診断を大きく変えるようなものではない」という。「スポーツによる脳震盪が多少なりとも脳内出血を伴う確率は極端に低く、おそらくコンマ数%にすぎないからだ」

一方、ガードナーによると、「意識を失った選手が運ばれてきたら、必要なのはこの検査ではなく、すぐにCTスキャンをすること」だ。しかし、はっきりした症状がない場合は「検査をして基準値以下なら、99%の確率で脳内出血はないと考えられる」という。

つまり、この検査のメリットは「放射線被曝を伴い、コストも高くつき、救急病棟にとどまる時間が長くなる頭部のCTスキャンを減らせる」ことだ、というのだ。

しかし、この2種のバイオマーカーの利用については、まだ研究が行われている段階だ。まず基準値、つまり正常な範囲の血中濃度を設定するために膨大なデータを収集する必要があると、ガードナーは言う。その上で臨床的に有意な脳損傷の診断閾値を厳密に設定することになる。

また、ごくわずかな脳細胞が死んだ場合でも、この2つのバイオマーカーの値が測定可能なほど上昇するかどうかは分からないと、ミシガン大学のフレデリック・コーリー教授(救急医療)は指摘した。「これは検証を必要とする重要な問題だ」


こうした課題がクリアされたら、この技術は頭部打撃を受けたスポーツ選手を守ることにどう役立つのか。

「NFLでは、脳震盪が見逃されることはめったにない。最低でも全試合に医師の資格を持つ神経外傷顧問3人と選手のけがを監視するアスレチックトレーナー2人が派遣されているからだ」と、コーリーは言う。

だが「負傷のリスクは高いのに、監視体制が不十分な競技では、見逃されてしまう」。そうした競技では血液検査が大いに役立つだろう。

復帰時期の判断の切り札に

ウェストバージニア大学ロックフェラー神経科学研究所の脳震盪・脳損傷センターを率いるハビエル・カルデナスによると、どんな競技であれ、血液検査は脳震盪の診断ではなく、回復の評価に活用することでゲームチェンジャーになり得るという。

「脳震盪の疑いがある選手を試合から外すのは、ある程度の経験があれば、そう難しくない」と、NFLの頭部・頸部・脊髄委員会の副委員長でもあるカルデナスは言う。難しいのは復帰のタイミングを見極めること。「脳の損傷が治癒し、頭部を打つ可能性がある競技に出ても大丈夫だと、どの時点で言えるかだ」

リーグによって復帰の指針は異なるが、一般的には症状が消えて、認知機能検査に合格し、少しずつ体を動かして、通常のトレーニングを再開できたことなどが条件になる。だが、こうしたマニュアルでは一概に判断できないケースもある。


「問題は、既存の検査の大半は損傷を受けてから時間がたつほど、脳震盪を起こしたかどうかが分かりにくくなることだ。そのため脳の損傷が治癒したかどうかを確実に判定できなくなる」と、カルデナスは言う。

「私たちは最善を尽くすが、脳が十分に回復し、プレーに復帰しても大丈夫だと保証することは難しい。バイオマーカーが大きな可能性を秘めているのは、そこだと思う」

シルズも同意見だ。ただし、血液検査を採用するには、この2種のバイオマーカーの有効性が十分に検証されることが条件になるという。

トレーニングキャンプ中にガーディアンキャップを着用する選手 MARK BROWN/GETTY IMAGES

「バイオマーカーの感度と特異度が改善されたら、まず復帰の判断に試験的に使ってみてもいい」と、シルズは言う。

「そうすれば、損傷が治癒する経過が分かるし、私たちが現在、脳の回復レベルを確認するために用いている指標である症状や神経機能・心理テスト、臨床検査の結果と、バイオマーカーの値を突き合わせることもできる」


シルズによれば、NFLの脳震盪の指針は「生きた手引」だ。研究の進展に伴い、その内容は絶えず刷新されている、というのである。

バイオマーカー検査だけではない。ルールや方針を改善することも可能だし、そうした変化は実際に起きている。今や多くのスポーツリーグが、選手の頭部への衝撃を防ごうとしている。NFLは今年のレギュラーシーズン開幕前、新しいキックオフルールを導入したが、目的の1つは激しい衝突による負傷の防止だ。

選手たちの意識改革も進む

安全性向上の取り組みには装備も役立つ。最新例がヘルメットの上に装着するソフトシェルのパッド「ガーディアンキャップ」だ。NFLは今年4月、レギュラーシーズンの試合でガーディアンキャップの着用を認めると発表した。

22年に導入したガーディアンキャップはこれまで、プレシーズンの練習、レギュラーシーズンとポストシーズンの接触を伴う練習で着用が義務付けられていた。

今のところ、試合中のガーディアンキャップ姿はあまり見かけない。選手の間には、余分な重量が加わることを心配する声も上がり、効果をめぐる議論が続いている。しかし、既にフィールド上で日常的にキャップを着けている選手もいる。

「安全が守られるなら、見た目はどうでもいい」。テネシー・タイタンズのタイトエンド(TE)で、脳震盪を2回経験しているジョシュ・ワイル(Josh Whyle)は、チームの公式サイトでそう発言している。「着用が認められるなら、もちろんそうする」


インディアナポリス・コルツのTEで、昨シーズンに脳震盪を経験したカイレン・グランソン(Kylen Granson)はさらに率直だ。

「車のシートベルトなんてばからしいと思われていた時代もあった」が、「私は近く結婚する予定だ。夫婦としての初めてのダンスを、30年後も覚えていたい。わが子が初めて歩いたときを忘れたくないし、初登校する日にはそばにいたい」。

だが、誰もが同じ意見ではない。ドルフィンズのQBタゴバイロアは10月下旬の記者会見で、ガーディアンキャップを着用するかと問われてこう答えた。「もちろんノーだ。私はリスクを覚悟している」

NFLによれば、今年のプレシーズンの脳震盪件数は、統計を取り始めた15年以降で最も少なかった。ガーディアンキャップの導入に加えて、ヘルメットが改良され、頭部の接触に対する考え方が変化したおかげだと、CMOのシルズは指摘する。

QBジョシュ・アレンの「脳震盪疑惑」が起きたビルズ対テキサンズ戦 AP/AFLO

NFLの脳震盪件数は昨年、全般的に減少し、そのうち44%は何らかの形での自己申告に基づいていた。

「私は30年近くスポーツドクターをしている」と、シルズは言う。「10~15年前なら、自己申告がこんなに多いことはあり得なかったと断言できる。当時は大した負傷ではないと主張したり、けがをした可能性を認めずにプレーを続けようとしがちだった。本質的な変化が起きている」


NFLの取り組みに対して、皮肉な見方をしたくなる事例はある。例えば、バッファロー・ビルズのQBジョシュ・アレン(Josh Allen)は、10月6日の対ヒューストン・テキサンズ戦で頭部に衝撃を受けたが、すぐにプレー復帰を認められた。この件については、さらに調査が必要だとの指摘がある。

十分な情報に基づく判断を

それでもNFLの統計に間違いはないと、シルズは確信している。

「NFLは公表を前提にデータを提出している。査読付き論文への掲載を望んでいるからだ」と、シルズは言う。

「データは現在、審査中だ。同時に、自分たちでも分析を行い、改善方法を探り続ける。健康と安全の追求にゴールはない、というのが私たちのモットーだ。データを慎重にチェックし、改善された点を確認しながら、さらなる前進を実現する機会を追い求めていく」

アスリートの脳震盪をめぐる認識や受け止め方が変化したのは、パトリック・リシャCTE啓発財団の努力の成果でもある。

「情報提供が、より安全なスポーツへの第一歩になると考えている」と、リシャの義父ダグ・ジーゲルは語る。「プレーに伴う外傷の深刻度に応じて、競技をランク付けすることを検討してもいいかもしれない。映画のレーティングシステムは存在するのに、スポーツにはそれがない」


「理想を言えば、衝撃が繰り返されるスポーツは禁止すべきだ。ぶつけ合うのが肩でも頭でも、脳がダメージを受けるのだから。だが少なくとも保護者や関係者が危険を理解していれば、十分な情報に基づく選択ができる。適切な情報を提供することで、賢明な決断を促せるはずだ」

ユースリーグでもプロレベルでも、選手の脳の状態を確かめることができれば、流れは大きく変わる。バイオマーカー検査が進化すれば、選手のプレー復帰の是非について、よりよい判断が可能になる。

「頭部の接触が大きな話題になっているのは喜ぶべきことだ。衝突の可能性を最小限にしたい」と、シルズは言う。

「私は神経外科医として、脳損傷や脊椎外傷の患者の治療に力を注いできた。スポーツがより安全になるなら、何であれ大きな前進だ。大学スポーツの選手だった子の親で、スポーツをする9人の孫がいる私にとって、スポーツの安全性は仕事であるだけでなく家族の問題であり、コミュニティーの問題でもある」

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