必要なのは「愛」であり、病気を治す「奇跡」ではない

今年1月、米紙ロサンゼルス・タイムズが『イエスの生涯』映画化決定のニュースを報じた。

同紙のコラムニスト、グレン・ウィップがスコセッシへのインタビューなどを基にまとめた記事で、スコセッシが2023年にローマ教皇フランシスコと面会した際、イエスに関する映画を作ると伝えたこと、まだ「インスピレーションの中を泳いでいる」状態ながら、脚本はすでに完成しており、年内にも撮影が開始される予定であることが明かされた。

『イエスの生涯』は、『沈黙』が出版された7年後の1973年に刊行された。英語、イタリア語、中国語にも翻訳されている。

のちに遠藤は、講演集『人生の踏絵』の中で次のように語っている。

『沈黙』は、〈迫害があっても信念を決して捨てない〉という強虫の視点ではなくて、私のような弱虫の視点で書こうと決めました。弱虫が強虫と同じように、人生を生きる意味があるのなら、それはどういうことか──。これが『沈黙』の主題の一つでした。この〈強虫と弱虫〉というのは、『沈黙』以後も大切な主題となったのです。強虫にはもちろん敬意を払いますが、私は強虫になれないだけに、弱虫への共感をずっと持ち続けました。なぜ強虫は強くなれたのか、弱虫は生まれ持った性格的なものなのか、そんなことを考え続けてきた。

遠藤によると、これまで聖書を何千回と読んできたが、自分とは縁遠いと感じる部分が数多くあったという。それが『沈黙』執筆後、ふと自分と同じような人間―弱虫―が主人公だという視点で読み返したところ、聖書が「どうやって弱虫が強虫になれたか」を書いた本として、身近に感じられるようになったのだという。

『イエスの生涯』はタイトルが示す通り、イエスの評伝である。

ただ、遠藤が描くイエスは、奇跡など起こさない。英雄的でもなく、美しくもない。民衆の失望と怒りと嘲笑を買い、弟子たちからも誤解され、見捨てられる「無力で孤独な男」だ。それでも、彼らと悲しみや苦しみを分かち合おうとし、共に涙を流してくれる母のような「永遠の同伴者」となるべく、すべての人々の苦しみを背負い、十字架の上で殺されることを選ぶ。

イエスを「強虫」とすると、弟子たちは「弱虫」。師が捕まるとクモの子を散らすように逃走する。弟子とバレたら、自分も殺されるとおびえたからだ。このあたり、踏み絵を突き付けられ、「足を置かないと殺すぞ」と脅かされて踏んだ、江戸時代の日本人と同じである。

私にとって聖書のいちばん面白いポイントは、こうした弱虫の弟子たちがまた集まってきて、自分が裏切ったイエスという人のことを喋(しゃべ)って、教えを広め、結局は迫害されて死んでいく、というところなのです。つまり、弱虫が強虫になっていった。なぜ、そうなれたのか?(遠藤周作『人生の踏絵』)


映画化決定で再び脚光を浴びる『イエスの生涯』(新潮文庫)。話題の本のコーナーで平積みする書店も(東京都内で天野久樹撮影)

イエスの教えをより親しみやすくするために

『イエスの生涯』執筆にあたり、遠藤は、キリスト教に無縁の読者が実感できるイエス像を具体的に書くよう、自らに課したという。過去に記されたあらゆる「イエス伝」を踏まえながら、創作と思われるエピソードについても、真実が潜んでいるとみて尊重し、想像を巡らせている。

そうした遠藤独特の“聖書観”をスコセッシはどう描くのだろうか。

彼の構想では、作品の舞台は主に現代だが、特定の時代に縛られることなく、時代を超えたものにしたいという。また、イエスの核となる教えに焦点を当て、組織化された宗教に関するネガティブな重荷を取り除き、より近づきやすいものにするため、新しい方法を見つけようとしている、という。ロケ地の候補には、イスラエル、イタリア、エジプトが挙がっている。

ロサンゼルス・タイムズ紙のインタビューの中で、「宗教」についてこうコメントしている。

今、「宗教」という言葉を口にすると、誰もがいきり立つ。いろいろな失敗があったからだ。だがそれは、必ずしも最初の衝動が間違っていたことを意味しない。一度、元に戻って、それについて考えてみよう。君はそれを拒否しても構わない。しかし、拒否するとしても、それは君の生き方に変化をもたらしているのかもしれない。即座に却下しないでほしい。

10月に入り、クランクインが延期になったという情報を基に、引退の臆測も広がったが、スコセッシはそうした外野の声を一蹴。

「まだ作るべき映画が残っている。神が私にそれを作る力を与えてくれることを願っている」と意欲を燃やす。


今年10月7日、イタリア・トリノで開催された映画祭のセレモニーに、娘のフランチェスカさん(左)を伴い参加したスコセッシ監督(Marco Destefanis IPA/Sipa USA via Reuters Connect)

父・周作との長崎取材旅行の思い出

スコセッシは、シチリア系イタリア人の移民の家に生まれ、マフィアの支配するニューヨークのリトルイタリーで育った。こうした生い立ちは、腐敗した社会や、矛盾した現実の中で苦悩する主人公らの姿を描く、彼の作風に色濃く出ている。

「父の小説は、『沈黙』のキチジローに代表されるように、弱き者、社会からはじかれた者が物語の中心ですが、スコセッシ監督の映画もそう。ある種、作風が似ている感じがします。『イエスの生涯』が彼の映画人生を彩る作品の一つになってほしい」

と、スコセッシの新作に期待を寄せるのは、遠藤周作の一人息子で、フジテレビジョン副会長、そして日本民間放送連盟(民放連)会長を務める遠藤龍之介さんだ。

龍之介さんにとっても、『沈黙』には忘れられない思い出がある。学校の授業を休んで、父の長崎への取材旅行に同行したのだ。

「あれは10歳ぐらいだったかな、父から突然、『来週から5日間、新しい小説の取材に長崎に行くから、お前もついてきなさい。学校の勉強よりもはるかに勉強になるから』と命じられて」

「飛行機には乗れるし、おいしいものも食べられる。内心、シメシメという気持ちだった」長崎旅行。だが、期待していたものとはかなり違った。

出版社の編集者と長崎のキリスト教関係者と一緒で、着いた日こそ軽く観光し、夕食に名物の卓袱(しっぽく)料理を味わったものの、2日目からは外海(そとめ)、五島、平戸をハイヤーで回り、隠れキリシタンの里を精力的に訪ね回る。

1軒の家に入ると、2時間ぐらいは出てこない。その繰り返しで、その間、運転手と車内に残される。おなかはすくし、辺りは暗くなって何か悲しくなり、泣きたい気持ちになった。

たまりかねて、ある夜「来る日も来る日も、車の中に朝から晩までいるのでは、何の勉強になるのか分からない」と反発した。すると父の形相が変わった。「連れて来てやった俺の気持ちが分からないなら、今すぐ東京に帰れ !」。

「今思うに、その時の私の主張自体は、そんなに間違っていなかった。ただ、言い方が悪かった。たぶん、これはわが家に限りませんが、作家というのは自分が言葉を職業にしているので、人から言われる言葉に対して、それが家族であっても、ひどく敏感なようです」と龍之介さんは振り返る。


父に肩車される龍之介さん(遠藤周作文学館蔵)

真面目さの裏で脈打つ「諧謔精神」

龍之介さんによると、父親にはもう一つ困った癖があった。それは「いたずら好き」。

「諧謔(かいぎゃく)趣味とでも言うのかな。しゃれとユーモア、そして機知にあふれていた」

その代表作が、中学生の時に見たエピソードだ。

懇意にする銀座の社長が、銀婚式に夫人とヨーロッパに行くことになった。大の飛行機嫌いで、これまで海外に出掛けたことはなかったが、奥さんがどうしてもパリに行きたいという。2人は出発前に遠藤宅を訪れ、「どんなところに気を付ければいいでしょうか」とアドバイスを求めた。

「すると、父はうれしそうな顔をして、『二つ気を付けていただきたいことがある』と切り出したのです」

「飛行機に乗ったら、まずスチュワーデスにチップをあげてください。長時間お世話になるのだから、1人5000円ぐらい全員に。事前にポチ袋を用意して。もう一つは日付変更線。羽田をたって2時間ほどすると、プラスチックでできた真っ赤な長い線が海の上に浮かび、そこで飛行機が降下するので、ぜひご覧になってください」

両人とも真剣に、父のアドバイスを手帳にメモしている。ちなみに、夫妻は機内のスタッフたちを大いに笑わせ、到着まで大変良いサービスを受けたそうだ。

“火の粉”は家族にも降りかかった。

10代後半になると、龍之介さんにもガールフレンドができ、自宅に電話をしてくる。父は物書きだから基本、書斎におり、電話を最初に取る確率が高い。

「女友達からの電話を取ると、『ああ、〇〇さん、先週息子と一泊旅行に行かれたお嬢さんですね』と答える。その話自体がうそなので、彼女は『違います』と言って電話を切る。翌日、学校で私は彼女から一部始終を知らされることになるのです」

ある時、「いいかげん、恋愛をじゃまするのは止めてくれませんか」と抗議すると、父は真顔でこう言った。

「フランスの小説家、マルセル・プルーストを知っているか?  彼がよく言っている。『安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める』。むしろ俺は、お前に恋愛のスパイスを与えてやっているんだ」

「不寛容さ」増す現代社会へのメッセージ

友達とバカ話に興じていたと思うと、書斎で原稿を書いている。真面目な話の最中で、突然、いたずらを考えつく。小説のジャンルも、『沈黙』のような純文学と、狐狸庵(こりあん)もののようなユーモア小説、全く違うタイプのものを書き分ける。

龍之介さんによると、人間「遠藤周作」の中心にあるのは、「人間は多面的な存在である」という考え方。世の中は善と悪というような二分法では判断できない。善だけの人間、悪だけの人間はいない、ということだ。

「では、自分のダメな部分、弱い部分にどうやって折り合いをつけていくか、また、プラスに転じていくか。それには、自分を客観的に見つめる、もう一人の自分が必要。そのようなことを父から教わった気がする」


遠藤龍之介さんは慶大文学部(仏文学専攻)卒業後、1981年にフジテレビ入社。ディレクター、編集部長などを務めた。「自分の価値観の半分以上は父から与えてもらった」と振り返る (天野久樹撮影)

ところが、世の中は逆の方向に動いているようだ。「不寛容さ」がこの数年、エスカレートしている。

「マスコミ界の人間の私が言うのもおかしいが」と前置きして、龍之介さんは続けた。

「最近のメディアは、少しでも弱みを見せた人間を徹底的にたたく。その人の社会的生命がなくなろうとも気にせずに。コメンテーターみたいな人がもっともらしいことを言うと、あなたは神なのか、絶対者なのか、と言いたくなる。自分のテレビ局も含めて、マスコミ全体が考え直す時期に来ているのではないか」

「もし父が生きていたら、こうした風潮に対してどんなメッセージを発するのかな、と思うことがある。スコセッシ監督の映画化で、『イエスの生涯』が世界の多くの若者の目にとまり、人を愚直に愛したり、細かな心情に思いをはせたりすることの尊さを感じてもらえたら、うれしいですね」

【参考文献】

  • 『イエスの生涯』(遠藤周作・著、新潮文庫)
  • 『人生の踏絵』(遠藤周作・著、新潮文庫)
  • 「『沈黙』刊行50年記念国際シンポジウム全記録 遠藤周作と『沈黙』を語る(企画:遠藤周作文学館、長崎文献社)

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