日本最大の前方後円墳で世界遺産の仁徳天皇陵古墳(堺市、大山古墳)と、明治時代以降の地元住民の関わりを紹介する企画展「仁徳天皇陵と近代の堺」が同市博物館で開催されている。宮内庁宮内公文書館、関西大との共催。公文書が多く仁徳陵を描いた初の測量図など約90点のほとんどが初展示という。同市博物館の学芸員は「陵墓を未来にどのような形で保全、継承していくのか考えるきっかけになれば」と期待を寄せる。11月10日まで。

 5世紀中ごろに築かれた大山古墳は明治期以降、宮内省諸陵寮(当時)が拝所を整備、濠の水を周辺田畑の灌漑用水として使用するなど地元と密接に関わっていた。

 1879(明治12)年に宮内省(当時)へ提出された仁徳陵の初の測量図も展示。原図は1923年の関東大震災で焼失したため、宮内省が25年、改めて大阪府などが所蔵していた控えの図を謄写した。右上には「三千分ノ一ヲ以製之」との記載があり、原図はさらに大きかった可能性がある。図は二重濠になっているが、現在の古墳は三重で、当時と現在の変化を学べる。

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