1970年代のウーマンリブ(女性解放)運動の中心的存在として知られる鍼灸(しんきゅう)師の田中美津(たなか・みつ)さんが7日、多臓器不全で死去した。81歳だった。通夜は13日午後5時、葬儀は14日午後0時30分から、東京都多摩市落合1の12の5の京王メモリアル多摩センターで。喪主は長男小泉らもんさん。

 70年に「ぐるーぷ・闘うおんな」を結成した。「母性」など性別による役割からの女性の解放をめざした運動は後に「フェミニズムの第2波」とも評され、社会に大きな影響を与えた。

 70年代当時に国会で議論された人工妊娠中絶の要件から「経済的理由」を取り除こうとした旧優生保護法改正案について、「産む・産まないは女性の権利」と反発する運動は全国に広がり、廃案に追い込んだ。

 75年、「第1回世界女性会議」のためメキシコへ渡って約4年滞在し、未婚のまま1子を出産した。帰国後は鍼灸師として都内に治療院「れらはるせ」を開設した。

 著書に「いのちの女たちへ」「かけがえのない、大したことのない私」「この星は、私の星じゃない」などがある。

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