朝日新聞には毎月、雑誌やネットで公開されている注目の論考を紹介する「論壇時評」という欄があります。時評を執筆する宇野重規さんと6人の論壇委員は月に1回、注目の論考や時事問題について意見を交わします。各分野の一線で活躍する論壇委員が薦める論考を紹介します。(「*」はデジタル、以下敬称略)

  • 【論壇時評】「わからない」政治を「わかりたい」人々に届く言葉を 宇野重規さん

砂原庸介=政治・地方自治

▷斉藤雅茂「孤立死、いまわかっていること」(世界8月号)

〈評〉家族やコミュニティーと接触がない状態で迎える「孤立死」は、特に単身高齢者にとって身近な不安となっている。仲間づきあいの欠如や喪失により孤独を感じながら迎える「孤独死」と混同されがちで、孤立死について公式な統計はないが、自殺と肩を並べるような規模で生じている可能性があるという。

 日本では亡くなった本人の感覚に着目する孤独死に焦点が当たりがちだが、客観的な状況から社会的孤立という状態を同定し、対策を検討する必要があるだろう。

▷鈴木賢太郎「『こどもまんなか社会』の盲点 災害対応にも子どもの視点を」(Wedge8月号)

▷桑原良樹「地域おこし協力隊の活動実態とその変化」(都市問題7月号)

中室牧子=経済・教育

▷井上達樹「乳児死亡率低下にも寄与 『救済機関』としての質屋」(週刊東洋経済7月13日号)

〈評〉日本の質屋の歴史は古く、20世紀前半には庶民にとって最も一般的な金融機関だったという。高金利への批判から1927年に「公益質屋法」が制定され、貧困救済を目的とする公益質屋が登場した。この論考では、公益質屋の低金利の融資が、乳児死亡率の低下にも寄与したことを実証的に明らかにしている。また同時代の欧米で実施された現金給付や訪問看護事業など他の政策に比べても、費用対効果に優れていたことも分かるという。現代のリユース市場の活発化を考えると、かつての公益質屋のような社会事業が復活する可能性も示唆されており、非常に興味深い。

▷成田悠輔「もっと対立や嫌悪を 東京大学五月祭講演録」(文芸春秋8月号)

▷中嶋哲彦「本当に『不適切』? 奈良教育大学附属小学校問題の実態」(世界8月号)

安田峰俊=現代社会・アジア

▷野嶋剛「頼清徳政権は『南進』に賭ける」(正論8月号)

〈評〉台湾の文化的・地理的・精神的な東南アジア性を指摘した面白い論考。過去の李登輝・蔡英文政権の対東南アジア外交を概観した上で、5月に発足した頼清徳政権が志向する経済面での「脱」中国と東南アジア重視、南太平洋諸国との関係強化、親米的なマルコス政権下で中国との関係が緊張するフィリピンと台湾の提携などについて解説する。

 日本からはなかなか可視化されない台湾の側面を詳しく書いている。フィリピン・中国情勢については台湾の分析が参考になるといった興味深い指摘が多い。

▷今井宏平「離散の民、クルド人の実像」(中央公論8月号)

▷高口康太「民間ベンチャーキャピタルが〝消失〟 中国政府ファンドが投資業界を支配へ」(DG LAB HAUS、7月12日)*

青井未帆=憲法

▷古谷経衡「日本保守党の研究」(地平8月号)

〈評〉日本保守党の誕生を、安倍晋三政権時に強力な結束を誇った保守界隈(著者推定で200万~250万人)が分裂していった経緯に照らして説く。同党は保守界隈の分裂にこそ登場の原因があったという。安倍政権が終焉(しゅうえん)した直後の米大統領選挙で、保守界隈はトランプ氏の敗北を受け入れるかどうかで対立し、界隈に大きな影響力を持っていたネット番組の出演者が分裂した。追い打ちをかけたのが安倍氏の逝去であり、上記ネット番組も諸般の事情から突然に終了となった。求心力維持のため、細分化した保守界隈内の一派閥の打って出た奇策が日本保守党の結成だったのだと著者は鮮やかに示す。現在の保守言論空間のありようを伝える論考で興味深い。

▷中願寺純則「許せない『ハンター』への鹿児島県警による強制捜査」(創8月号)

▷原武史、河西秀哉「『安定的な皇位継承』は実現できるか」(中央公論8月号)

板橋拓己=国際・歴史

▷中井杏奈「なぜいま『脱植民地化』がより一層重要になってきているのか『その背景』」(現代ビジネス、6月29日)*

〈評〉ロシア中心に偏重していた「スラブ・東欧学」という学問のあり方はウクライナ侵攻後、「脱植民地化」することが求められるようになった。これはロシア・ソ連研究の排除を意味するのではない。「内面化された規範」を打ち崩し、「反ロシア」でも「親ロシア」でもない言論空間の創設と研究実践こそ専門家に求められているという。

 こうした議論はスラブ・東欧学にとどまらない。現代世界の出来事は従来の思考枠組みを揺さぶるものが多く、「脱植民地化」という視座は省察のきっかけを提供するだろう。

▷北岡伸一、小泉悠「歴史的視座から考えるウクライナ戦争」(中央公論8月号)

▷下谷内奈緒「なぜ国際刑事裁判所は、ネタニヤフ首相の逮捕状を請求したか」(世界8月号)

金森有子=環境・科学

▷小倉和夫「パラリンピックを巡るパラドックス」(Voice8月号)

〈評〉障がい者スポーツへの社会的関心が高まってきた経緯とそれに伴う新たな課題について説明しながら、健常者と障がい者の共生社会について論じている。障がい者スポーツが認知されるにつれ、一部の競技では競技人口が健常者に偏っていることや、個人の努力によって障がいの克服ができるという考えを社会に助長するおそれがあるという問題点を指摘する。高齢化社会ではいずれ多くの人が「障がい者」になる、障がいは「社会」が作り出すという著者の言葉は、障がいへの社会の向き合い方を、メディアの報じ方も含めて真摯(しんし)に議論する必要性を指摘している。

▷保坂修司「サウジの聖地巡礼、酷暑で1000人超が死亡か 安全確保は王家の責任」(日経ビジネス電子版、7月9日)*

▷鈴木康弘、渡辺満久「令和6年能登半島地震をめぐる予測の課題」(科学7月号)

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