池上曽根遺跡の再調査結果について記者会見する奈良文化財研究所の光谷拓実名誉研究員(中央)ら=10日午後、大阪府和泉市

 国立歴史民俗博物館(千葉県)や大阪府和泉市教育委員会などのグループは、弥生時代の環濠集落・池上曽根遺跡(大阪府)の「神殿」ともされる大型掘っ立て柱建物の柱5本の年輪年代を再調査し、結果を10日発表した。「柱12」は紀元前52年と再確認。紀元前113年とされた「柱16」は、外側が削られており、伐採された年代は不明だが、残っている最も外側の年輪は紀元前782年と判明した。同じ建物の柱でも年代差が700年もあり、新たな謎として注目を集めそうだ。

 一番新しい柱12の年代から、建物の建築は紀元前52年ごろとされる。グループは地滑りなどで埋まり、地中に長期間保存された埋没林の木材を用いた可能性があるとしている。

 1996年に国立奈良文化財研究所発掘技術研究室長だった光谷拓実氏らが年輪年代法で、5本は紀元前113~前52年と発表。今回は年代を決める標準パターンを新たに作成して比較したところ、前回、前52年と判定された「柱12」の年代は同じだったが、残る4本は前782~前221年と大幅に古くなった。

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