「鳥取に家族と移り住むことにしたの」。NHKの朝ドラ「虎に翼」で、そう言って東京を後にした「久保田先輩」こと久保田聡子。実際に同様の道をたどった中田正子(1910~2002)は、朝ドラの主人公のモデル、三淵嘉子らと並ぶ日本初の女性弁護士だ。ドラマでは描かれない中田の生きた証しが、地元の人たちによって守られている。

  • 「先生、東京に帰らないで」鳥取を選んだ正子 もう一つの「虎に翼」

 東京・小石川出身の中田は1940年、三淵や久米愛とともに日本初の女性弁護士となり、丸の内の法律事務所に採用された。だが5年後、夫の病が悪化して出身地の鳥取県若桜町で療養することになり、中田も東京を離れた。

 またいつか東京で働ける――。そう思っていたが、生涯戻ることはなかった。「鳥取には私を必要としている人がいる」

「ここを残して…」 自宅兼事務所は残った

 鳥取市中心部、馬場町の住宅街。鳥取地裁にも近い武家屋敷「旧岡崎邸」の半分を中田が借り、自宅兼法律事務所としたのは50年のことだ。

 旧岡崎邸は、鳥取藩主に嫁いだ11代将軍徳川家斉の娘のために建てられた。その後、建築にも関わった藩士の5代目岡崎平内が、藩の財政を立て直したとして藩主から与えられた。7代目岡崎平内は初代鳥取市長などとして知られる。

 だが、歴史ある旧岡崎邸も2002年に中田が亡くなったのを最後に住む人がいなくなった。保存を求める運動も盛り上がったが、市は土地も建物も購入しない方針を示した。

 09年には、旧岡崎邸の所有権を得た団体が解体工事に着手。突然のことに驚いたのが、保存を求めてきた太田縁(ゆかり)(61)らのグループだった。

 太田の祖父母が旧岡崎邸のもう半分に住んでいて、中田とは縁があった。子どもの頃には、法律事務所の前で迷っている人がいると「お客さんですよ!」と中田に知らせていたという。

 「ここを残してほしい」。病床に伏していた中田からそう託された太田は、「正子さんはあの家に愛着があったんだと思う」と振り返る。

 太田らの訴えを受けて、解体工事は中断。広く寄付を募り、グループで旧岡崎邸を買い取った。中田が住んでいたと知り、団体側との交渉に協力してくれる女性弁護士たちもいた。

「強い男性」に立ち向かった

 傷みが目立つ建物を少しずつ修復し、活用をめざす取り組みは続いている。

 鳥取地域史研究会会長の小山富見男(72)はかつて、中田の母校、明治大学の大学院に通った。卒業後、校友会で中田と会ったことがある。そのとき初めて「鳥取に日本初の女性弁護士がいる」と知り、感動を覚えた。「中田さんには未知の世界に歩もうとする行動力があった」

 小山は鳥取敬愛高校の社会科教諭だった頃、全国の地理や歴史を調べる「社会部」の顧問だった。当時の部員だった奥村寧子(やすこ)(43)は鳥取市歴史博物館の学芸員となり、06年に初めて「中田正子展」を企画。今春も、朝ドラのスタートに合わせて別の会場で開いた。

 「弱い立場にあった女性の気持ちを代弁して、強い男性たちに立ち向かってくれる」。そんな中田の人生に、奥村も勇気づけられるという。=敬称略(花房吾早子)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。