平安京で「応天門の変」が発生 

866年(旧暦:貞観8年閏3月10日) 平安京大内裏の応天門が放火で焼失。背景には朝廷の権力争いがあり、犯人捜しは二転三転したが、この事件を機に、名門・伴一族が失脚し、藤原氏の政権独占が始まった。国宝の『伴大納言絵詞』に、駆け付けた検非違使(けびいし)や応天門に殺到するやじ馬など事件の様子が詳しく描かれている。

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その他の出来事

江戸幕府が幕臣を鍛える「講武所」開校

1856年(旧暦:安政3年3月24日) ペリー来航後の政情不安を受けて老中阿部正弘の命により、江戸幕府が東京・築地に講武所を開校。士気高揚のため、旗本・御家人やその子弟に剣術、槍術(そうじゅつ)、砲術などを学ばせた。

「当用漢字」の字体表を発表

1949(昭和24)年 内閣が当用漢字1850字の字体を規定する「当用漢字字体表」を発表。46年発表の当用漢字は活字で字体の異なる異体字などが使われていたため、活字の元となる字体を統一し内閣告示として発表した。しかし、制限色の強い当用漢字は使いにくいので、81(昭和56)年10月「常用漢字」が告示され、当用漢字は廃止された。

サンフランシスコ平和条約と日米安保条約が発効

1952(昭和27)年 第2次世界大戦の戦争状態を終結し国交を回復するため、日本と、米、英など連合国48カ国との間で前年9月8日に結ばれたサンフランシスコ平和条約が発効。これにより連合国による占領は終わり、日本は主権を回復した。同じ日に調印された日米安全保障条約もこの日発効し、米軍の駐留が認められた。当時の日本には、ソ連(現ロシア)なども含む「全面講和」を主張する勢力もあり、同平和条約締結を、米国が率いる自由主義陣営との「単独講和」であるとして批判した。

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「日華平和条約」を締結  72年失効

1952(昭和27)年 台湾の中華民国(台北政府)との間で「日華平和条約」を締結。日本と中華民国との間の戦争状態終了、関係再開などを取り決めた。中国を正統に代表する政府は、蔣介石総統が率いる台北政府である、との立場をとる米国の意向を受けて、サンフランシスコ平和条約の発効に合わせて台北で調印した。これにより、文化交流や貿易が活発化した。しかし、72(昭和47)年9月29日の「日中共同声明」により、中国(中華人民共和国)との国交が樹立され、政府はこの条約の消滅を宣言した。

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美浜、高浜原発の再稼働に地元同意–運転期間40年超

2021(令和3)年 運転開始から40年を超える関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)と高浜原発1、2号機(同県高浜町)について、同県の杉本達治知事は、再稼働への同意を表明した。東京電力福島第1原発事故後、原則40年とされた運転期間を超える原発の再稼働に地元が同意したのは初めて。

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英・豪と部隊派遣「円滑化」

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